ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ツバメの巣 その後

2011年06月21日 | 生き物 自然

 

先日(6月18日)、ツバメの卵が孵らなかったことを書いたが、何と、同じツバメかどうかは判らないが、再び抱卵を始めた。平均二週間ほどらしいのでその頃結果が出るが、今度こそ成功してほしいものだ。本当、大丈夫かい。今度失敗したら見る映画がないぞ。溝口健二の「西鶴一代女」もしくは小津安二郎の「東京暮色」辺りが悲しい気分の時にはうってつけだが、あいにく手元にはない。まあ、無理して映画を見ることもないが、悲しいときにはどっぷり悲しい気分に浸るというのは、欝の時に変に励まさないほうがいいという心理的メカニズムに近いものがある。

抱卵を繰り返すと言えば鴇だが、期待に反してなかなか孵らない。自然界で普通に繁殖しにくいというところに、鴇が日本で絶滅してしまったという事実が自然と納得いく。そういう運命だったのだろう。環境の変化に適応しにくいのか、種類によっては数を増やすものもあれば減らすものもある。これも自然界のメカニズムだが(自然淘汰の一言で済まされそうだが)、新種は生まれてないので、全体の種類が激減していることだけは厳然たる事実。ところで今やってるビオトープ、何のためかと言われれば自分のため。大儀名分からすれば種の多様性を保つための一助になればということだが、本当のところはは楽しいから。そんなものである。

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あの彼らの出会い

2011年06月21日 | 映画

 

ゲロゲロ少年から借りていたDVDの最後の一枚、ストローブ=ユイレの二作品収録の「雲から抵抗へ」「あの彼らの出会い」の見てなかった方の「あの彼らの出会い」をとうとう見終わった。実はこの作品は、初めてストローブ=ユイレに接した唯一のスクリーンで見た作品だったのだ。その時の印象は、これって映画なのか、というものだった。演技はしない、固定カメラで登場人物は動かない、台詞は朗読調しかも内容は神話の世界のような話し、全てが今まで見た映画の常識を覆すもので、物語性も一切なくこれで大丈夫か(寝ちゃいそうだ)と思ったが、これが不思議で、画面からは、森の風の音や鳥のさえずりせせらぎの音などの自然の気配がものすごく新鮮に伝わってくるのだ。それは、ドキュメンタリーの自然を扱ってるもの以上のことで、ちょっと不思議な感覚を味わえる。

「あの彼らの出会い」は、どうやら一見農夫のような人間が実は神である設定のようだ。二人ずつ出てきてただ会話をするだけ、これが映画の全てと言っても良い。会話の内容は、神と人間の関係、のようなこと。それを延々と続けるのだ。これだけ聞いたら、多分100人中99人は興味が失せると思う。いやもっとか。しかし、実際見ると(ここで10人中9人は脱落)、そのシンプルな構造がそれゆえ持ちえたある種の映画の力を感じることができるのだった(ホンマか?)。

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