脳死とは何か 基本的な理解を深めるために, 竹内一夫, 講談社ブルーバックス B-688, 1987年
・前出、立花隆『脳死臨調批判』にて槍玉に挙げられていた、国の脳死判定基準、別名"竹内基準"策定の中心人物による、脳死の解説書。立花氏への対抗のためか、この本はその後2004年に改訂新版が出ているようです。
・著者は医学の専門書を多数書いているとのことで、この本も非常に"書き慣れている"印象を受ける。ブルーバックスを含めた、専門知識の一般人への解説書としてお手本とも言えるような構成。その文章からは、筆者の尋常ではない頭のよさというかキレを感じる。強いて難点を言えば、"遊び"の部分が少なく、多少堅苦しく思えるところか。
・脳死を人の死と認めるか否かについて、はっきりとしたことは言えません。でもどちらかといえば慎重派ですかね。たとえば、現段階の科学技術で脳の仕組みの70%がわかっている、という認識だとして、後になって振り返ってみると実際0.1%しかわかっていなかった、なんてことになるような、そんな気がします。
・「しかし移植手術にはどうしても臓器の提供が必要であり、そのためには脳死状態をもって個体の死とする考え方が受け容れられなければならない。」p.7 まずは『移植ありき』が著者の立場。臨床経験40年の末に至った結論。
・「このとらえにくい"死"について、死を客観的に見るべき医学界においても、あまり明確な定義はない。むしろ、死という現象はなくて、実在するのは生命現象だけである、という考えがある。」p.17
・「この状態(脳死)を表わすのに、次のような言葉がある。すなわち「生きた身体に死んだ脳(a dead brain in a living body)」、「脈のふれる死体(corpses with a good volume pulse)」。」p.21
・「つまりいったん脳死状態に陥ると、絶対に蘇生しない。この脳死から心停止までの時間は、せいぜい一、二週間、長くて一ヶ月というのが現状である。」p.23
・「ひと口で答えるとすると、「脳死とは脳の全ての部分が死んだ状態」をいう。」p.25
・「最後にとくに強調したいのは、世界中で用いられている脳死の概念はあくまでも臨床的な観点、つまり実際に患者の診療にたずさわる側からの観点に立つものであり、決して病理学的な概念ではない。」p.27
・「よく脳は豆腐のようだといわれるが、私はむしろあんこうのきもに似ていると表現した方が実際に近いと思っている。」p.46
・「「脳死」が現在のような形で真剣に考えられ始めたのは、やはり心臓移植がはじめられた以降である。」p.57
・「ごく大ざっぱにみて、医学先進国においては、脳死の発生率は、全死亡者数の一パーセント弱程度とみてよいだろう。」p.64
・「新しい厚生省基準は、あくまで、脳幹を含めたすべての脳の機能が失われた脳死状態を判定するための基準であって、脳死を個体の死として認めるという、「新しい死の概念」を提唱しているのではない。」p.79
・「基本的には脳幹死を脳死とする英国以外は、全脳死を脳死とする立場に立つのが、現在の世界のすう勢といってよいだろう。一部の国ではさらに一歩進んで脳死を個体の死と公的に認めようという、死の概念の変更にまで踏み切ろうとしている。」p.116
・「しかし、私の畏友である某脳外科教授は、たとえ夫人が脳死状態に陥っても、心臓を摘出する気持には決してなれるものでないと率直に述べている。」p.135
・「一般の人々の間では、いまなお脳死と植物人間を混同している人が多いようである。」p.148
・「多くの現場の担当医達は、脳死状態に陥ればその患者は助からない。早晩、心臓も停止するであろう、医学的にみれば脳死状態はもはや個体の死と同じであると考えている。」p.164
・「Hic Medicina docet dignitatem vitae! 医学は生命の尊厳を教える学問である!」p.168
・前出、立花隆『脳死臨調批判』にて槍玉に挙げられていた、国の脳死判定基準、別名"竹内基準"策定の中心人物による、脳死の解説書。立花氏への対抗のためか、この本はその後2004年に改訂新版が出ているようです。
・著者は医学の専門書を多数書いているとのことで、この本も非常に"書き慣れている"印象を受ける。ブルーバックスを含めた、専門知識の一般人への解説書としてお手本とも言えるような構成。その文章からは、筆者の尋常ではない頭のよさというかキレを感じる。強いて難点を言えば、"遊び"の部分が少なく、多少堅苦しく思えるところか。
・脳死を人の死と認めるか否かについて、はっきりとしたことは言えません。でもどちらかといえば慎重派ですかね。たとえば、現段階の科学技術で脳の仕組みの70%がわかっている、という認識だとして、後になって振り返ってみると実際0.1%しかわかっていなかった、なんてことになるような、そんな気がします。
・「しかし移植手術にはどうしても臓器の提供が必要であり、そのためには脳死状態をもって個体の死とする考え方が受け容れられなければならない。」p.7 まずは『移植ありき』が著者の立場。臨床経験40年の末に至った結論。
・「このとらえにくい"死"について、死を客観的に見るべき医学界においても、あまり明確な定義はない。むしろ、死という現象はなくて、実在するのは生命現象だけである、という考えがある。」p.17
・「この状態(脳死)を表わすのに、次のような言葉がある。すなわち「生きた身体に死んだ脳(a dead brain in a living body)」、「脈のふれる死体(corpses with a good volume pulse)」。」p.21
・「つまりいったん脳死状態に陥ると、絶対に蘇生しない。この脳死から心停止までの時間は、せいぜい一、二週間、長くて一ヶ月というのが現状である。」p.23
・「ひと口で答えるとすると、「脳死とは脳の全ての部分が死んだ状態」をいう。」p.25
・「最後にとくに強調したいのは、世界中で用いられている脳死の概念はあくまでも臨床的な観点、つまり実際に患者の診療にたずさわる側からの観点に立つものであり、決して病理学的な概念ではない。」p.27
・「よく脳は豆腐のようだといわれるが、私はむしろあんこうのきもに似ていると表現した方が実際に近いと思っている。」p.46
・「「脳死」が現在のような形で真剣に考えられ始めたのは、やはり心臓移植がはじめられた以降である。」p.57
・「ごく大ざっぱにみて、医学先進国においては、脳死の発生率は、全死亡者数の一パーセント弱程度とみてよいだろう。」p.64
・「新しい厚生省基準は、あくまで、脳幹を含めたすべての脳の機能が失われた脳死状態を判定するための基準であって、脳死を個体の死として認めるという、「新しい死の概念」を提唱しているのではない。」p.79
・「基本的には脳幹死を脳死とする英国以外は、全脳死を脳死とする立場に立つのが、現在の世界のすう勢といってよいだろう。一部の国ではさらに一歩進んで脳死を個体の死と公的に認めようという、死の概念の変更にまで踏み切ろうとしている。」p.116
・「しかし、私の畏友である某脳外科教授は、たとえ夫人が脳死状態に陥っても、心臓を摘出する気持には決してなれるものでないと率直に述べている。」p.135
・「一般の人々の間では、いまなお脳死と植物人間を混同している人が多いようである。」p.148
・「多くの現場の担当医達は、脳死状態に陥ればその患者は助からない。早晩、心臓も停止するであろう、医学的にみれば脳死状態はもはや個体の死と同じであると考えている。」p.164
・「Hic Medicina docet dignitatem vitae! 医学は生命の尊厳を教える学問である!」p.168