ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】うるさい日本の私

2006年10月27日 17時52分55秒 | 読書記録2006
うるさい日本の私, 中島義道, 新潮文庫 な-33-1, 1999年
・前出、『じぶん・この不思議な存在』に続き、今年二冊めのド真ん中ストライク。きたよきたよ。
・怒っています。とにかく怒っています。こういう人物が奇人とか変人などとして後世まで語り継がれるのでしょうか。本業は哲学者である著者の、日本に満ち溢れる騒音との戦闘記録。騒音の原因の糸をたぐっていくと、『日本人とは?』という大きな問題が立ちはだかる。戦闘8割・考察2割ほどの配合。
・書き出しが「私は病気である。」とあるように、他人が気にならないものが気になってしょうがなくて、日常生活にまで支障をきたすとなると、体(脳?)の一部の働きがうまく機能してないのではないかと思えてきます。その辺の生理的・病理的考察はまったく無し。
・「日本のスピーカー地獄と戦っているうちに、私はその独特の残酷な構造がよく見えるようになった。現代日本のように、表面的な平等化が進み、飢えも暴動もないところでは、みんな「小さな差異」に敏感になり、「正常値のうちの下限にいる人々」は、ますます救われない。これは、ほんとうにたいへんなことである。」p.8
・「第一に気がつくことは、私たちの身の周りには実効を直接期待しない、たんなる希望的理念の表明に終わってしまっている細かな規則があまりにも多い、という事実である。」p.18
・「私は「車内への危険物のもち込みはご遠慮ください」という放送を流すことは、「車内で人を殺すことはご遠慮ください」という放送を流すのに劣らず馬鹿げていると思うが、これがマジョリティには伝わらないのである。」p.23
・「私の友人である杉田聡さんが、車に年間一万人前後の人が殺されている現状を直視し、大手車会社に対して「環境を汚染し、他人の健康に害を与えないように、自動車の使いすぎは控えましょう」という警告文を今後生産されるあらゆる車体に書き込むよう提案した。」p.23
・「デパートや新幹線の中、海水浴場や霊園においてさえ「盗難にご注意ください」という放送は入るが、けっして、「人の物を盗まないで下さい」という放送は入らないことに気づいてもらいたい」p.25
・「不快を解消するには――その理由を考察するのではなく――あくまでも実践しなければならない。」p.25
・「大学には音響学の大家たちがたくさんいる。社会学や教育学や心理学の専門家もいる。彼らはみなこのバスを利用している。なのに、だれも「気がつかない」のだ。」p.31
・「私は、銀行には抗議するがパチンコ屋には抗議しない。JR東日本にはぶつかってゆくが、暴走族には体当たりしない。」p.35
・「これらの放送は必要ないばかりではありません。積極的に有害だと私は申し上げたいのです。なぜか。あくまでも自分の判断にもとづき自分の責任でことをなすという人々の自立精神を阻害するから、言いかえれば人々の甘えの構造を助長するからです。」p.44
・「こういうときのためにと刷っておいた「静穏権確立をめざす市民の会 代表 中島義道」(じつは会員は私一人だけ)という名刺をさし出し、」p.52
・「であるから、こうした携帯電話に怒り狂う人々でも、権力を背景とした車掌のエンエンと続く大音響のアナウンスには抗議しないのだ。(中略)「エスカレーターをご利用のさいは……」という放送になんの抵抗もない人でも、もし私が前にいる人に「もしもし、エスカレーターをご利用のさいは……」と同じ内容を言ったら、ほとんど気違いあつかいされるであろう。商店街を包み込む大音響のBGMと同じ曲を同じ音量で私がかけていたら、たちまち常識違反とどなられるであろう。」p.60
・「つまり「お忘れ物のないよう」とか「お気をつけて」とかの言葉は、文字どおりの意味は希薄であり、むしろ客への配慮を表わす意図のほうが強いであろう。」p.78
・「JRがわがままで、無責任で、怠惰で、鈍感なお客に対して毅然とした態度で応じる以外「解決」はないと思う。」p.105
・「ある銀行の案内係の老人がソッと私に耳打ちしてくれた。 ――じつは、お客さまの要望はあの大学ノートに書いてもらっており、一年間に数冊にもなるのですが、支店長はそれを読みもせずに年度末にはみな捨ててしまうのです。」p.131
・「確実にお客が集まるからこそ、けたたましい音を発しているのである。」p.133
・「ご推察どおり、選挙の季節は日本を脱出したくなる。(中略)鈴木弘子都議会議員候補は「環境、環境を考えているスズキ・ヒロコ、環境問題のスズキ・ヒロコ……」とガナリたてるものだから、(中略)幸い鈴木弘子も上田哲もみごと落選。その結果を知ったときは、たいへん幸せであった。」p.137
・「つまり、日本人がくつろぐところにはすべてテレビという名の拷問器具が置いてあるのだ。この国では、テレビを見たくない人はいちゃいけないのだろうか?」p.141
・「私も何度、家族、友人、知人から「あんた(おまえ・きみ・あなた)がいちばんうるさい!」と言われつづけてきたことか。」p.147
・「新宿駅西口で「関西大震災のボランティアに……」と叫んでいた人もそうであるが、自分たちは世のため人のために正しいことをしていると確信している「正義派」は、絶望的に頭が硬い。」p.153
・「埼玉県滑川町でチェンバロを作成している「同志」の横田誠三さんは、この暴力に立ち向かい、孤軍奮闘している。」p.156 話に出ているのは、先日ニュースで紹介されていた、台風で倒れた北大のポプラ並木でチェンバロを作成した方のようです。
・「つまり「優しい」人とは、――他人に優しくしようと全力をつくそうとする人ではなくて――優しくない他人によって自分が傷つくことを全身で恐れる人であり、むしろこちらを第一原理とする人なのである。」p.169
・「私の仮説のアウトラインはこうだ。古来日本人はさまざまな音に対して寛容であった。(中略)つまり、日本人は自然のさまざまな音を排除せずにそれを取り込んで、そこにさまざまなサインを聞き分けて生きてきた。(中略)人工音が増えるにしたがって、そのままそうした音に対しても寛容な態度をかたちづくることになる。(中略)言いかえれば、古来日本人は無音と言う意味での静寂は望んでいなかったのだ。」p.181
・「われわれは、他人の苦しみがわかるゆえに他人を意図的に苦しめることができるたぶん地上で唯一の動物である。」p.193
・「おわかりのように、「自分がされたくないことは人にするな」というこのルールは社会をあらたに改革してゆこう、意識を改革してゆこうというときにはまったく役立たない。というより最大の障害として立ちはだかる。」p.198
・「すべてパブリックな「音」にはことごとく寛容であり、いっこうにうるさいとは感じない。しかし、私人が発するヘッドフォンや携帯電話に対してはひどく不寛容でいきりたつのだ。そこに公私を選択する針が不思議なほど敏感に働いており、しかもそれに気づいていないのである。」p.206
・「「音漬け社会」を解体するには何が必要か? 答えは、さしあたりきわめて単純のように思われる。それは、「察する」ことを縮小し、「語る」ことを拡大することである。」p.222
・「彼女たちは「他人の思惑を考えて」自分だけの判断で返答することができなかったのである。彼女の逡巡には、われわれ日本人が千年以上かかってつちかってきた「美徳」が根を張っているのだ。」p.224
・「とすると、「何でも質問しなさい」という言葉がじつは大ウソであることを子どもたちは次第に全身で見抜いてゆく。そして、子どもたちは知らず知らずのうちに、むしら「語らないほうが得」であることを学んでゆくのである。」p.227
・「一般的に、そしてとくに教室においては「私は~が嫌だ」「僕は~したくない」という個人の声を封じてはならない。すべて「言わせて」から、正面から反論するべきである。」p.229
・「降りるときには「降ります、通してください」と「言えば」いいし、扉の前に立っている人には「扉の前に立たないでください」と「言えば」いいし、ヘッドフォンのシャカシャカがうるさければ「もう少し音を小さくしてください」と「言えば」いい。私はすべて実行しているが、(中略)ほぼいつも聞いてくれる。」p.237
・「われわれは「言われる」ことにもっと馴れなければならない。「言われた」こと自体にではなく「言われた」内容に向けて反論することを学ばねばならない。」p.240
・「いじめられ遺書を残して死んでいった子どもたちに向かって多くの大人は叫ぶ。「なぜ、そこまで我慢したのだろうか? なぜ『いやだ!』と言わなかったのだろうか?」と。鈍感にもほどがある! あなた方が「語らせなかった」のだ。「いやだ」と言わせなかったのだ。「いやだ」と言うことすらできないように教育したのだ。いつもいつも「他人の思惑を考えよ」「思いやりをもて」「他人に優しくせよ」という美辞麗句で子どもをがんじがらめに縛り、「いやだ!」と叫ばせる能力を奪ったのだ。「他人を傷つけても、自分の名誉を守らねばならない」ことがあること、「他人に対する思いやりを捨てても自分の命を救わねばならない」ことがあることを教えなかったのだ!  「いじめ」問題が困難をきわめるのは、その解決がわれわれ日本人の規範意識・美意識と正面からぶつからねばならないからなのだ。つまり、「いじめ」とは日本人の美徳に反するものではなく、正反対に「優しさ」や「思いやり」や「耐えること」という日本人の美徳それ自体がつくりだしたものなのである。」p.242
・「まさに、「察する」美学から「語る」美学への転換は、日本古来の礼儀や美徳をかなぐり捨てることなのだ。」p.251
・「最後にスローガンを。あまり他人に「思いやり」をもたないようにしよう。あまり他人から「優しさ」を期待しないようにしよう。何ごとにつけ「察し」が悪くなろう。そして、その代わり言葉を尽くして語りつづけよう!」p.251
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