新年の挨拶, 大江健三郎, 岩波現代文庫 文芸23, 2000年
・エッセイ20編+あとがきを収録。
・"辞書"は使い方によって想像以上の働きをする。
・「僕は隣町の高校に入ったところだった。仕事で松山に出た兄が、古書店で見つけたといって、僕にとっては初めての洋書を買ってきてくれた。本の外観こそ古びているけれど、本文をめくってみると使われた形迹のない "The Concise Oxford Dictionary"。それを手渡されての昂奮は、辞書の紙の手ざわりや印刷の匂いとともに、鮮明に思い出すことができる。」p.7
・「容姿がテレヴィ向きとも思わぬし、悪意ある雑文においてのみならず話し方の下手さ・発音の不明瞭をいわれることはよくあるのに、僕は時どきテレヴィに出る。その端的な理由は、かぎられた小説の読者層よりほかのところから多様な反応がえられることである。そしていかにも幸いな場合には、新しい小説の読み手が得られることもあるからである。」p.35
・「小説家というものは、きわめて健康な幾人かをのぞけば、どうもある種の心の病気と一緒に生きているのではないか? 僕はそのようにあらためて考えたのでした。」p.51
・「河合(隼雄)さんは次のように書いていられます。 《心理療法とは、悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること、である。》」p.55
・「端的に、僕は誰に対しても、権威ある強い者のやり方で命令することができない。サルトルが、自分は笑いながらでしか命令することができないといっている、あれです。」p.88
・「しかし距離をおいて樹木をあおぎつつしだいに納得したのは、「雨の木(レイン・ツリー)」をめぐる小説を書き終って時がたち、かつては危険なほどの喚起力を持っていた「雨の木(レイン・ツリー)」の暗喩(メタファー)が自分のなかで色褪せてきていることだった。」p.142
・「彼女(ナディン・ゴーディマ)は書いている。《なぜなら人が書くすべてのものは、全体の物語の部分なのだ。いかなる個人の作家であれ、混沌からかれ独自の知覚(パーセプション)のかたちを築こうと試みるのであるかぎり。人生を理解することの物語。長編、短編、本ものでない書き出し、半分しか完成しなかったもの、放棄されたもの、それらすべてが意味のある場所を持つような、その物語は、人が死ぬか、想像力が萎縮するかする前に書かれる、最後の文章によって完成されるだろう。》」p.187
・「私の魂がなにごとかをするということはなくて、どこか外側から訪れるものが魂を鳴り響かせるのであって、私の魂はただそれを記憶するだけだと知って、失望したと……」p.208
・フランス文学者渡辺一夫の言葉「そこで三年間、ひとりの文学者、思想家に的をしぼって読む、ということになさい。ほぼどういう輪郭の相手かということは、三年読めばわかってくるでしょう。それは専門研究とはまた違いますが…… この方法によって、僕はこれまでの生の難所をいかにしのぐことができたことだろう!」p.226
?そうろう【蹌踉】 足もとのたしかでないさま。ふらふらとよろめくさま。蹌々踉々。
《チェック本》 小林登『こどもは未来である』岩波同時代ライブラリー 155
・エッセイ20編+あとがきを収録。
・"辞書"は使い方によって想像以上の働きをする。
・「僕は隣町の高校に入ったところだった。仕事で松山に出た兄が、古書店で見つけたといって、僕にとっては初めての洋書を買ってきてくれた。本の外観こそ古びているけれど、本文をめくってみると使われた形迹のない "The Concise Oxford Dictionary"。それを手渡されての昂奮は、辞書の紙の手ざわりや印刷の匂いとともに、鮮明に思い出すことができる。」p.7
・「容姿がテレヴィ向きとも思わぬし、悪意ある雑文においてのみならず話し方の下手さ・発音の不明瞭をいわれることはよくあるのに、僕は時どきテレヴィに出る。その端的な理由は、かぎられた小説の読者層よりほかのところから多様な反応がえられることである。そしていかにも幸いな場合には、新しい小説の読み手が得られることもあるからである。」p.35
・「小説家というものは、きわめて健康な幾人かをのぞけば、どうもある種の心の病気と一緒に生きているのではないか? 僕はそのようにあらためて考えたのでした。」p.51
・「河合(隼雄)さんは次のように書いていられます。 《心理療法とは、悩みや問題の解決のために来談した人に対して、専門的な訓練を受けた者が、主として心理的な接近法によって、可能な限り来談者の全存在に対する配慮をもちつつ、来談者が人生の過程を発見的に歩むのを援助すること、である。》」p.55
・「端的に、僕は誰に対しても、権威ある強い者のやり方で命令することができない。サルトルが、自分は笑いながらでしか命令することができないといっている、あれです。」p.88
・「しかし距離をおいて樹木をあおぎつつしだいに納得したのは、「雨の木(レイン・ツリー)」をめぐる小説を書き終って時がたち、かつては危険なほどの喚起力を持っていた「雨の木(レイン・ツリー)」の暗喩(メタファー)が自分のなかで色褪せてきていることだった。」p.142
・「彼女(ナディン・ゴーディマ)は書いている。《なぜなら人が書くすべてのものは、全体の物語の部分なのだ。いかなる個人の作家であれ、混沌からかれ独自の知覚(パーセプション)のかたちを築こうと試みるのであるかぎり。人生を理解することの物語。長編、短編、本ものでない書き出し、半分しか完成しなかったもの、放棄されたもの、それらすべてが意味のある場所を持つような、その物語は、人が死ぬか、想像力が萎縮するかする前に書かれる、最後の文章によって完成されるだろう。》」p.187
・「私の魂がなにごとかをするということはなくて、どこか外側から訪れるものが魂を鳴り響かせるのであって、私の魂はただそれを記憶するだけだと知って、失望したと……」p.208
・フランス文学者渡辺一夫の言葉「そこで三年間、ひとりの文学者、思想家に的をしぼって読む、ということになさい。ほぼどういう輪郭の相手かということは、三年読めばわかってくるでしょう。それは専門研究とはまた違いますが…… この方法によって、僕はこれまでの生の難所をいかにしのぐことができたことだろう!」p.226
?そうろう【蹌踉】 足もとのたしかでないさま。ふらふらとよろめくさま。蹌々踉々。
《チェック本》 小林登『こどもは未来である』岩波同時代ライブラリー 155