ぴかりんの頭の中味

主に食べ歩きの記録。北海道室蘭市在住。

【本】札幌の秘境

2009年09月08日 22時02分17秒 | 読書記録2009
札幌の秘境, 青木由直, 北海道新聞社, 2009年
・以前訪れた『エドウィン・ダン記念館』にて、前著『札幌の秘境100選』の紹介パネルを見かけ、「こんな本があるのか」と興味を持ち、後日調べてみるとつい最近新刊が出ているということで早速購入。一般的な観光地とはひと味違った札幌の見どころスポットである『秘境』が多数紹介されているオールカラーの立派な本です。カメラを片手に人気のない場所をウロウロする、まさに私のためにあるような本。私のようにただ訪れて写真を撮るだけでなく、その施設、史跡、土地についての取材がきちんとされているので、非常に参考になります。興味深い場所がたくさん掲載されていますが、中でも一番興味があるのは八剣山の山頂。機会があれば登ってみたいところ。
・パラパラとページをめくって写真を拾い読みする分にはストレスは感じないが、文章を読み出すと、そのテンポが重く途端にペースが落ちてしまう。もうちょっと軽快に読めたらと思います。
・複数地点をテーマに応じて一つの章にまとめる形の構成ですが、一地点につき、1~2ページの読み切り形式の方がすっきりとして良いような気がします。前著の『100選』は未見ですが、もしかするとそうなっているのかも。
・巻末の地図と各記事との連絡が非常に悪い。ページ番号の情報も入れるべき。
・書中の写真と、所々にはさまれる五七五の今後のレベルアップに期待。
・著者はもと北大工学部の教授とのことで、知合いの知合いあたりにいそうな気が。
★参考リンク:ブログ『秘境100選 Ver2』
http://hikyou.sakura.ne.jp/v2/
・「「秘境」という言葉からイメージするものは、人跡未踏の地、人里離れた山奥、桃源郷 etc、と考えられるけれど、ともかく人間で溢れる都市の対極にあるものである。したがって、「都市の秘境」は言葉自体に矛盾を含んでいる。この矛盾したところが、都市秘境シリーズ本の売りになっている。情報の溢れる時代、ネーミングは大切である。  秘境を、まだ見たことのない思いがけない場所、と解釈すると、都会でもそのようなところがある。」p.2
・「本書で追い求めている都市秘境は、次の三条件に合うような場所や対象である。 (1)意外な場所(対象)で、大都会札幌で、こんなところにこんな場所や物があったのかを満たすもの。 (2)無料で自由に見ることができるもので、無料ということは秘境がビジネスの対象外で広義の公共性があること。 (3)考えさせられる背景があることで、単に足を踏み入れたことのない場所ではなく、歴史や世の中の仕組みが働いて思いがけないものが顔を出してくるようなもの、を取材の対象にしている。」p.2
・「現在では、牧草地に牧草をロール状にしてラッピングしたものをよく見かけるようになっていて、これはいわば可搬型のサイロである。飼料作りにこの方式が普及し、建物のサイロに置き換わって来ている。」p.22
・「二、三ブライダル・チャーチのステンドグラスを見せてもらったが、なるほど豪華なものである。ただし、写真撮影はご遠慮願うとか言われ、商品の安売りにつながるようなことはご法度、というこの種のビジネスの原理が顔を出してくる。」p.26
・「国道36号線で月寒羊ヶ丘の辺りにさしかかると、札幌ドームの巨大な銀色に輝く屋根が見えてくる。冬の季節なら、雪の山がそこにあるかのようである。ドームの高さが68mであるから、東区のモエレ山の62mよりは高くなり、山と錯覚しても、間違いと言下に言い切れない。」p.30
・「ホーレス・ケプロン、クラーク博士、エドウィン・ダンらの北海道開拓に貢献したお抱え外国人はさすがに祭られてはいない。」p.34
・「開拓神社の例祭は八月十五日で勇壮な神輿渡御が行なわれる。この例祭日は、蝦夷地を北海道と改称した日にちなんで定められた。なお、北海道の名称は、祭神の一人の松浦武四郎が明治政府への建白書で、「北加伊道」「海北道」「海東道」「日高見道」「東北道」「千島道」の六案を出していて、紆余曲折のうちに北海道となっている。」p.35
・「寺の境内に入るところに門がある。この門は普段は閉まっていて、脇の入口から出入りしている場合がほとんどである。折角の門なのにどうしてかと疑問に思っていた。この疑問への解答として、寺門が開くのはその寺の住職が新しくなって寺へ入る時で、その住職が死んだ時にも寺門から外に出る、という説明を耳にした。」p.38
・「日登寺の仁王像は朱塗りの上半身裸体に青色の衣をまとっている。ガラスのケースのお陰か、色は褪せていないようである。しかし、ガラスのケース内では、門から寺に入り込む敵に対して身動きがとれないのではないかと思ってしまう。ここはやはり普通の山門の仁王像のように、風雨にさらされるものにして置く方がよいとも思われる。」p.41
・「米国マサチューセッツ州立農科大学長であったW.S.クラーク博士が、創立されたばかりの札幌農学校の教頭として赴任し、第一期生の薫陶にあたったのは1878(明治9)年七月から翌年の四月までの足掛け十ヶ月である。130年以上前に短期間滞在した外国人教師が、今なお北大のシンボルとしてあるのは、他の大学には例をみないものであろう。」p.54
・「石川啄木は、1907年(明治40)年9月14日から27日まで札幌に滞在した。時に21歳である。この二週間ほどの滞在であるにもかかわらず、札幌には啄木の像や歌碑が散見され、今でも人気の歌人である。」p.58
・「都市の境界にはこのような異なる性質の場所が隣り合わせのところが見られる。石狩川沿いの江別市と当別町の境界には江別の廃棄別処理場があり、一方当別町側には田園地帯が広がっている。都市が厄介物を処分するのを都市の境に設定すると、往々にしてこのような状況が生まれる。」p.66
・「北海道開拓時における災害の一つはイナゴ(蝗―トノサマバッタ)の大発生である。イナゴは、大発生すると性質が変化して空を飛ぶようになる。これを飛蝗(ひこう)と呼んでおり、1880(明治13)年十勝地方に発生した飛蝗は、日高山脈を飛び越えて石狩の地までも達している。」p.67
・「山の定義がはっきりしないのだが、国土地理院が定めた三角点があり、"山" の名前がある場所を山にしてよいようである。この条件に当てはまれば、高さは山の定義の条件には入らない。」p.102
・「おいらん渕の河床には、ここが海底であった頃の生物の大型化石が埋まっているはずなのに、誰も未だ見つけていないそうである。太古の生き物が未発見の化石となってここに埋まっているのかと、先生の地球の歴史の話に、おいらんの身投げ伝説は雲散霧消する。」p.137
・「標本のようなものは、蒐集家にとって宝物でも、他人にとってはガラクタにしか見えない場合も多い。蒐集家あるいは研究者は、いずれはその蒐集物を手放さねばならない時がきて、それが公共施設に、吹き溜まりのように溜まっていくようである。」p.157
・「かつて、札幌は全国屈指のリンゴの生産地で、リンゴ園があちら、こちらにあった。特に平岸にはリンゴ園が集まっていた。(中略)しかし、札幌の都市化も手伝って、市街地からリンゴ園は消滅してしまった。」p.158
・「SLについた名前のA、B、C、D、Eは連結された駆動輪の個数を意味していて、Bは二個、Cは三個、Dは四個の駆動輪が連結したタイプを意味している。」p.164
・「土木遺産とは、第二次世界大戦以前に造られた土木施設や構造物で、現在も利用されている貴重なものと認められたものである。」p.168
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【写】野付半島・トドワラ(別海)後編

2009年09月08日 08時01分46秒 | 撮影記録2009
●野付半島・トドワラ(別海)後編 撮影日 2009.5.3(日) [野付半島ネイチャーセンター][Yahoo!地図]
・野付半島の先端に位置する『トドワラ』散策の続き。
 
・木道上から後ろを振り返ると、遠くに車をとめた野付半島ネイチャーセンターが見えます。右は、海上に突き出した散策路。この時は残念ながら立入禁止でした。
 
・まだ枯れずにがんばっている樹木もわずかに見られました。
 
・どこか、"この世の果て" を思わせる風景です。

・それにしてもこの日は寒く、フリースの上に冬用コートを着て毛糸の帽子をかぶるという冬装備で丁度良いくらいでした。ヘタをすると雪が降り出しかねない気候。
 
・散策路の行き止まり。その先の砂地には人の足跡も見えましたが、無理はせずにここで引き返すことに。
 
・事前のイメージでは、白骨を連想させる枯れ木が無数に転がっている風景を想像していましたが、実際はその残骸がちょこちょことあるだけです。たまたま訪れた季節が悪かったのか、それとも風化が進んでしまって、パンフレットなんかで見る風景はもう過去のものになってしまったのか。

・散策路の終点から来た道を振り返った図。
 
・枯れ木はちょっとしたオブジェのようです。
 
・帰り道。

・チョロチョロ飛び回っていたスズメ。普段目にするものとは微妙に模様が違うような気がしないでもないですが、普段のスズメがどんな模様だったか記憶は曖昧です。
 
・海水で押し流されたのか、木道脇に枯れ木がかたまっています。
 
・海草(?)にうずもれるショベルカー。これは抜け出す事ができるのでしょうか。

・帰りの一本道は時間節約のため、息の続く限り駆け足で。普段全く運動しないので、途切れ途切れでしたが。

・ネイチャーセンターまであと一息。

・頭上を飛ぶ、おそらくヒバリ。
 
・散策路も終わりにさしかかった所、道端で賑やかにさえずる見慣れぬ小鳥(アオジ)を発見。小鳥にしては珍しく、3mくらいまで近寄っても逃げずに複雑な歌を歌い続けていました。
 
・トドワラよりさらに野付半島の先端を目指して車を走らせていると、道端の木柵の上になにやら巨大な物体が。はじめは飾り物かと思ったのですが、近づくと飛んで逃げていきます。初めて目にするオジロワシです。

・一見、置物のようです。まとめて写真に撮れませんでしたが、ワシはあっちにもこっちにも周囲に5羽ほどいました。
 
・それにしてもそのデカさに圧倒されます。まるで焼酎の特大4リットルのペットボトルのようなデカさ。それに、カラス並にふてぶてしく、車で5mほどまで近づいても逃げません。ある一定距離内に入ると、「よいしょ…… ブワァサッ! ブワァサッ!」と面倒臭そうに重量感のある羽ばたきでまたちょっと離れた柵へ移動。
 
・飛んでいる姿が優雅で美しい。あんなに重そうな体が宙に浮くのが不思議です。

・車を走らせる事しばし。すると途中で道路の舗装は途切れ、「関係者以外立入禁止」の看板が。どうもこちらが一般人が入れる野付半島の最先端のようです。

・来た道を振り返った図。トドワラ自体はあまり見るべきところもありませんでしたが、いろいろな野鳥に出会えたのは収穫でした。一ヶ所でこれだけの種類の鳥を見るのは初めてかもしれません。うっそうとした森があるわけでもなく、そう餌が豊富そうには見えない土地ですが、周辺に人の手があまり入っていないということなのでしょうか。次は羅臼を目指して、半島の根っこ部分へ戻る。

>>> 【旅】北海道東部半周旅行 まとめ

[Canon EOS 50D + EF-S18-200IS]
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