親しくさせていただいている脳神経内科医が忘年会のため,話題の「アキレスケンタウルス体操」の練習をして,見事優勝したという.調べてみるとケンタウルスに扮するお兄さんが「足を伸ばして,アキレスケンタウルス♪」と歌いながら,アキレス腱のストレッチをする体操だった.でもなぜケンタウルスがアキレス腱を伸ばしているのか,不思議に思われたのではないだろうか?実は私は病棟実習で「医の倫理」の講義をしているが,このアキレス,ケンタウルスの話から講義をスタートしている.
【アキレウスの先生はケンタウルス族ケイロン】
実はケンタウルスとアキレスは師弟である.ケンタウルス族は半人半獣の,粗暴で野蛮な一族なのだが,その中にケイロンという音楽,医学,予言に優れた賢者がいた.ケイロンは太陽神アポロンと双子のアルテミスに育てられ,アポロンから医術を学んだ.ケイロンは薬草を栽培しながら,病人を助けて暮らしていたが,同時にすぐれた家庭教師であった.英雄ヘラクレス,アキレウス,そして後述するアスクレピオスなどを育てた.お察しの通り,このアキレウスこそアキレス腱の由来である.アキレウスは,幼い頃,母親によって黄泉の国の川に浸されたため不死身になった.しかしその際,母親が踵を持って川に浸したため,その部分だけが不死身にならず,唯一の弱点となったのである.図1Aはルーヴル美術館に展示される,ジャン=バプティスト・ルニョーによる「ケイロンとアキレウス」である.
【ケイロンからアスクレピオス,ヒポクラテスへ】
ケイロンの育てたアスクレピオスは医学の才能を開花させ,師をも凌ぐまでになった.そればかりか,死者を蘇生し,生き返らすようになった.これを知った死者の国の支配者,冥界の神ハーデスは秩序が乱されたと怒り,全知全能の神ゼウスに訴え,ゼウスもこのままでは人間が増えてしまうと,アスクレピオスに雷槌を落として殺してしまう.しかし死後,へびつかい座として天に召され,神様の仲間入りをした.地上でもアスクレピオスは医学の神として崇め奉られ,アスクレピオス神殿が建てられ,人々が医術を学ぶ場となる.このギリシアのコス島にある神殿で医学を学んだのがヒポクラテスである.
【アスクレピオスの杖】
上述のようにアスクレピオスはギリシア神話における医神となり,現在も医学の象徴的存在である.アスクレピオスのもつ杖には「1匹の蛇」が巻きついているが(図1B),杖は命,蛇は脱皮することから「再生・不滅」の象徴とされている.この杖と蛇は多くの医学に関わるロゴマークに使用され,医の倫理を記したジュネーブ宣言にも見ることができる(図1C).有名なものは図2上段の世界保健機関(WHO)やアメリカ医師会(AMA)があるが,「2匹の蛇」が巻き付く図もあって勘違いされることがある.図2下段のものは「ケーリュケイオンの杖」と呼ばれ,伝令の神ヘルメスの持ち物でまったくの別物(ヘルメスの杖とも呼ばれる).伝令から派生して商業の紋章として用いられ,日本においても一橋大学や商業高校などで校章として用いられている.
【アスクレピオスの子供たち】
アスクレピオスの子供たちはみな医学の道に進んだ(図3).長女のヒュギエイアは美しい健康の女神,パラケイアは薬学の神,マカオンは外科の守護神,ボダレイリオスは内科の守護神となった.ヒュギエイアは英語のHygiene(衛生,衛生学)の語源となった.「アルプスの少女ハイジ」の由来にもなっている.足が不自由であったクララも,アルプスの環境とハイジの友情により回復し,自分で歩けるようになった.ハイジは現代のヒュギエイアの姿を示したものと言われている.これらの神々は以下に示す「ヒポクラテスの誓い」の冒頭の文章に出てくる神々である.
「医神 アポロン,アスクレピオス,ヒギエイア,パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う,私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを」
【ギリシア神話の医学に端を発するジュネーブ宣言】
ここまで,医術がアポロン→ケイロン→アスクレピオス→ヒポクラテスと伝えられてきたことを示した.講義ではここまできていよいよ「医の倫理」の話につながる.「ヒポクラテスの誓い」に記載された9項目を読んでもらい,実際に現代医療にも当てはまるかを学生のみんなに考えてもらう.そのあと,医の倫理に関する現代の規定である「ジュネーブ宣言」を読んでもらい,「ヒポクラテスの誓い」の倫理的精神を現代化・公式化したものが「ジュネーブ宣言」であるという種明かしをする.つまり単に「ジュネーブ宣言」の6項目を覚えてもらうのではなく,どのようにして成立したのかを知ってもらうことが大切だと考えたのだ.
またもう1点,死者を蘇らせ秩序を乱し,神ゼウスから罰を受けたアスクレピオスの逸話は,ヒト受精卵にCRISPR/Cas9ゲノム編集技術を適用して赤ちゃんを誕生させる能力を持った私たちの未来を連想させはしないだろうか.きわめて重要な研究倫理を考えるきっかけにもなると思われる.
実際の講義ではさらに脱線して,コス島から日本に運ばれた「ヒポクラテスの木」とポケモンgoの話や,日本における医の倫理の出発点「扶氏医戒之略」についても紹介している.これらは過去にブログで記載したのでご参照いただきたい.
ポケモンGOと「ヒポクラテスの木」に現れた蛇
扶氏医戒之略
参考図書:現代医療とギリシャ神話 「あぁ,そうだったんだ」と膝を打つとても面白い本です.ご一読をおすすめします.
【アキレウスの先生はケンタウルス族ケイロン】
実はケンタウルスとアキレスは師弟である.ケンタウルス族は半人半獣の,粗暴で野蛮な一族なのだが,その中にケイロンという音楽,医学,予言に優れた賢者がいた.ケイロンは太陽神アポロンと双子のアルテミスに育てられ,アポロンから医術を学んだ.ケイロンは薬草を栽培しながら,病人を助けて暮らしていたが,同時にすぐれた家庭教師であった.英雄ヘラクレス,アキレウス,そして後述するアスクレピオスなどを育てた.お察しの通り,このアキレウスこそアキレス腱の由来である.アキレウスは,幼い頃,母親によって黄泉の国の川に浸されたため不死身になった.しかしその際,母親が踵を持って川に浸したため,その部分だけが不死身にならず,唯一の弱点となったのである.図1Aはルーヴル美術館に展示される,ジャン=バプティスト・ルニョーによる「ケイロンとアキレウス」である.
【ケイロンからアスクレピオス,ヒポクラテスへ】
ケイロンの育てたアスクレピオスは医学の才能を開花させ,師をも凌ぐまでになった.そればかりか,死者を蘇生し,生き返らすようになった.これを知った死者の国の支配者,冥界の神ハーデスは秩序が乱されたと怒り,全知全能の神ゼウスに訴え,ゼウスもこのままでは人間が増えてしまうと,アスクレピオスに雷槌を落として殺してしまう.しかし死後,へびつかい座として天に召され,神様の仲間入りをした.地上でもアスクレピオスは医学の神として崇め奉られ,アスクレピオス神殿が建てられ,人々が医術を学ぶ場となる.このギリシアのコス島にある神殿で医学を学んだのがヒポクラテスである.
【アスクレピオスの杖】
上述のようにアスクレピオスはギリシア神話における医神となり,現在も医学の象徴的存在である.アスクレピオスのもつ杖には「1匹の蛇」が巻きついているが(図1B),杖は命,蛇は脱皮することから「再生・不滅」の象徴とされている.この杖と蛇は多くの医学に関わるロゴマークに使用され,医の倫理を記したジュネーブ宣言にも見ることができる(図1C).有名なものは図2上段の世界保健機関(WHO)やアメリカ医師会(AMA)があるが,「2匹の蛇」が巻き付く図もあって勘違いされることがある.図2下段のものは「ケーリュケイオンの杖」と呼ばれ,伝令の神ヘルメスの持ち物でまったくの別物(ヘルメスの杖とも呼ばれる).伝令から派生して商業の紋章として用いられ,日本においても一橋大学や商業高校などで校章として用いられている.
【アスクレピオスの子供たち】
アスクレピオスの子供たちはみな医学の道に進んだ(図3).長女のヒュギエイアは美しい健康の女神,パラケイアは薬学の神,マカオンは外科の守護神,ボダレイリオスは内科の守護神となった.ヒュギエイアは英語のHygiene(衛生,衛生学)の語源となった.「アルプスの少女ハイジ」の由来にもなっている.足が不自由であったクララも,アルプスの環境とハイジの友情により回復し,自分で歩けるようになった.ハイジは現代のヒュギエイアの姿を示したものと言われている.これらの神々は以下に示す「ヒポクラテスの誓い」の冒頭の文章に出てくる神々である.
「医神 アポロン,アスクレピオス,ヒギエイア,パナケイアおよびすべての男神と女神に誓う,私の能力と判断にしたがってこの誓いと約束を守ることを」
【ギリシア神話の医学に端を発するジュネーブ宣言】
ここまで,医術がアポロン→ケイロン→アスクレピオス→ヒポクラテスと伝えられてきたことを示した.講義ではここまできていよいよ「医の倫理」の話につながる.「ヒポクラテスの誓い」に記載された9項目を読んでもらい,実際に現代医療にも当てはまるかを学生のみんなに考えてもらう.そのあと,医の倫理に関する現代の規定である「ジュネーブ宣言」を読んでもらい,「ヒポクラテスの誓い」の倫理的精神を現代化・公式化したものが「ジュネーブ宣言」であるという種明かしをする.つまり単に「ジュネーブ宣言」の6項目を覚えてもらうのではなく,どのようにして成立したのかを知ってもらうことが大切だと考えたのだ.
またもう1点,死者を蘇らせ秩序を乱し,神ゼウスから罰を受けたアスクレピオスの逸話は,ヒト受精卵にCRISPR/Cas9ゲノム編集技術を適用して赤ちゃんを誕生させる能力を持った私たちの未来を連想させはしないだろうか.きわめて重要な研究倫理を考えるきっかけにもなると思われる.
実際の講義ではさらに脱線して,コス島から日本に運ばれた「ヒポクラテスの木」とポケモンgoの話や,日本における医の倫理の出発点「扶氏医戒之略」についても紹介している.これらは過去にブログで記載したのでご参照いただきたい.
ポケモンGOと「ヒポクラテスの木」に現れた蛇
扶氏医戒之略
参考図書:現代医療とギリシャ神話 「あぁ,そうだったんだ」と膝を打つとても面白い本です.ご一読をおすすめします.