『作家としての創作活動を休んで数年を京都で過ごしたことがある。
人生においてじつに辛い時期だった。』
というようなことを五木寛之氏が著作のなかで語っておられた。
そんな苦悩を抱えた日々のなかで一つだけ自分に課していたことがある、と。
それは
毎日ひとつだけ、嬉しかったことや幸せだと感じたことなどをノートに書き記す
というものだ。
とにかく無理やり思い出してでも、ひとつ書く。
氏によれば、どんなに辛い日でも、苦しい日でも、何かひとつくらいは好い事があるものだ、と。
仮に二つ三つあったとしても、書き残すのはひとつだけ。
書き溜めたものを折に触れて読み返してみる。
すると、悪いことばかりじゃないなと思えてくる。
そうやって少しずつ気力を回復していった、というお話だった。
いいな、と思った…、素敵だな、と。
で、真似してみよう、と思った。
別に深い苦悩に苛まれているわけでも、辛い日々を送っているわけでもないが…
ちょうど使っていない小型のメモ帳があったから、それを使うことにした。
ま、毎日というわけではなく、
お、ちょっとラッキー
あら、ハッピー
ありがとぉぉ
なことがあったときにちょこっとメモる。
そんなことを1年あまり続けている。
久しぶりにはじめから読み返してみた。
コンビニで籤を引いたらお茶が当たった。
ドラッグ・ストアで買い物したら石鹸を1個オマケして貰った。
買い物に行ったらポイント5倍の日だった。
線路脇のお花がキレイだった。
まぁ、そんな他愛もないことを書いている。
気取った言い方をするなら“ささやかな幸せ”ということだろうか。
ただ、そのささやかな幸せ、小さなラッキーに気づくか気付かないか。
いや、幸せなのに、ラッキーなのに、そうは思わないってこともあるかもしれない。
気が付きさえすれば、ハッピー&ラッキーは身の回りにいつもあるのかも、と思ったしだいです
五木寛之氏の著作は
『好運の条件 生き抜くヒント』 新潮新書
だったと記憶しています。
人生においてじつに辛い時期だった。』
というようなことを五木寛之氏が著作のなかで語っておられた。
そんな苦悩を抱えた日々のなかで一つだけ自分に課していたことがある、と。
それは
毎日ひとつだけ、嬉しかったことや幸せだと感じたことなどをノートに書き記す
というものだ。
とにかく無理やり思い出してでも、ひとつ書く。
氏によれば、どんなに辛い日でも、苦しい日でも、何かひとつくらいは好い事があるものだ、と。
仮に二つ三つあったとしても、書き残すのはひとつだけ。
書き溜めたものを折に触れて読み返してみる。
すると、悪いことばかりじゃないなと思えてくる。
そうやって少しずつ気力を回復していった、というお話だった。
いいな、と思った…、素敵だな、と。
で、真似してみよう、と思った。
別に深い苦悩に苛まれているわけでも、辛い日々を送っているわけでもないが…
ちょうど使っていない小型のメモ帳があったから、それを使うことにした。
ま、毎日というわけではなく、
お、ちょっとラッキー
あら、ハッピー
ありがとぉぉ
なことがあったときにちょこっとメモる。
そんなことを1年あまり続けている。
久しぶりにはじめから読み返してみた。
コンビニで籤を引いたらお茶が当たった。
ドラッグ・ストアで買い物したら石鹸を1個オマケして貰った。
買い物に行ったらポイント5倍の日だった。
線路脇のお花がキレイだった。
まぁ、そんな他愛もないことを書いている。
気取った言い方をするなら“ささやかな幸せ”ということだろうか。
ただ、そのささやかな幸せ、小さなラッキーに気づくか気付かないか。
いや、幸せなのに、ラッキーなのに、そうは思わないってこともあるかもしれない。
気が付きさえすれば、ハッピー&ラッキーは身の回りにいつもあるのかも、と思ったしだいです
五木寛之氏の著作は
『好運の条件 生き抜くヒント』 新潮新書
だったと記憶しています。