小学生だからといって、子供だとは思わない。大人以上にいろんな事を考えている。この物語は、そんな当たり前のことが、しっかり描かれてあるから好きだ。
映画『バッテリー』のラストシーン(あれは、見事な幕切れだった!)のその後の顛末から、あの日の試合を綴った『ラストイニング』を読んだことで無性に原作が読みたくなった。巧と豪がいかに出会い、どんなふうに成長していくのかを、もう一度追体験するためだ。あの . . . 本文を読む
この安直な邦題は、それだけで見る気力を損なってしまうが、実はシェイクスピアの『ハムレット』を五代十国時代の中国に移し変えたこの壮大なスペクタクル巨編は、『リア王』を戦国時代に置き換えた黒沢明の『乱』を思わせる大作である。これは安っぽいB級映画ではなく、重厚でため息が出るほど美しい映像詩でもある。
スタイリッシュなアクションのすばらしさ(ユエン・ウーピンだ)と豪華な美術が融合した一大絵巻物は見 . . . 本文を読む
この鬱屈したドラマは彼らの閉塞感を見事に捉えており秀逸である。熊切和嘉はぐちゃぐちゃな生活のスケッチを淡々と見せていきながら、たまりにたまったそのエネルギーが一気に暴走していく、というようなよくあるドラマとしてこの映画を見せたりはしない。
熊切監督は主人公3人の破滅的な行動を静かに見守りながら、ラストまでクールな視線を崩さない。坂井真紀のアル中の巨乳女は、ずっと暴れ続け、それが日常だ。そんな . . . 本文を読む
昨年《もうひとつの『3丁目の夕日』》と評判を呼んだ『狼少女』をDVDでようやく見た。こういうマイナー映画がお金のかかる時代劇(といっても、昭和時代)に取り組むなんて珍しいことなので、ちょっとわくわくした。
見世物小屋を舞台にした少年時代の感傷を、若い監督(深川栄洋)がどんなふうに見せてくれるのか。単なるノスタルジーではない「ひとつの世界」を提示できたならいいな、と期待した。敢えてはっきりした . . . 本文を読む
『バッテリー』の番外編である。映画のラストシーン。横手二中との再試合。その顛末を巧たち新田東中の側から描くのではなく瑞垣たち横手二中サイドから描いていく。あの日の練習試合が、彼らのその後にどんな影響を与えていくかが描かれる。高校生になった彼らの今から、あの日を振り返っていく。
正直言うと本編である『白球の行方』はあまり面白くない。ちょっとしつこすぎて胃にもたれる。門脇にしても瑞垣にしてもあま . . . 本文を読む
2時間の真紅組ならではのエンタテインメント。ストーリー自体はどうってことないのだが、20人ほどの大人数の役者達が出たり入ったりして、舞台上に入り乱れて、芝居自体は単純だけど、観客にしっかり楽しんでもらおうという気持ちがしっかり伝わってくる好感の持てる作品に仕上がった。
明治10年大阪新町長屋を舞台にして、ここで生きる人たちの日常生活をドタバタ騒動で見せていく。こういう時代設定の小劇場演劇は珍 . . . 本文を読む
とても不思議な芝居だ。普段見る小劇場の芝居とは微妙に違う。いきなり歌い出してしまうことやら、ストーリーが、とてもわかりにくく、それは作品自体が難解だということではなく、作者がドラマをきちんと整理できていないだけのことなのだが、当然その結果、この芝居自体の曖昧さを、作品の力にしきれてはいない。作者のねらいが、一人よがりの域を出ないから、観客の側に伝わりきらないのである。
こういう作品はストーリ . . . 本文を読む
この内容なのに、これは決して甘い内容ではない。もちろん、コメディーというわけでもない。この設定なら、ジム・キャリーあたりを主演に据えてコメディーとして処理したなら、いいのだが絶対しない。(だいたい最近ではジム・キャリーも安直なコメディーには出ないが)
主役はとっても地味なウイル・フェレル。(『プロデューサーズ』や『奥さまは魔女』の人だ)彼には華がないから、、こういうどこにもいそうな男の役がう . . . 本文を読む
青木さんの頭の中は妄想で一杯。見るからに危なそうなその容姿、そのままの人だ。彼の頭の中でその肥大化した妄想は一体どこまで膨張し続けるのだろうか。とどまることを知らない妄想はエスカレートを続け壮大なシンフォニーと化して街を破壊し尽くすこととなる。
巨大化した象(ほんとは熊だったはずなのに)が、チープな東宝特撮映画よろしくミニチュアの街を踏み壊していく。この壮大なラストシークエンスが延々と続いて . . . 本文を読む
この悪夢の世界を、いかに伝えよう。一見叙情的なこのタイトル。その奥にある苦悩のドラマに圧倒される。もちろん今までも、イギリスのよるアイルランドへの圧制を描いたたくさんの映画はあった。エミール・クストリッツアによるユーゴの内紛を描いたいくつもの素晴らしい映画もあった。だが、こんなにもダイレクトに胸に迫り、こんなにも痛い映画はかってなかった。
今までに作られた映画との比較には何の意味もない。また . . . 本文を読む
正直言うとかなり期待外れだ。『夜は短し歩けよ乙女』を先に読んでしまっているので、このデビュー作には、なんの驚きもない。それどころか、この小説はただの習作の域を出ない。これを、先に読んでいたなら、失望したはずだ。『夜は短し』の後なので彼のタッチが、この作品に偏在しているので、少しは楽しめたが、これから先に読んでいたらきっとその幼いタッチに閉口したかもしれない。
『きつねのはなし』も『夜は短し』 . . . 本文を読む
読んでいて気分が悪くなる小説だった。こういう頭の悪い女の子を主人公にして、その子が被害者ズラしているような小説にはついていけない。頭の悪いバカ女をきちんと客観的に捉えて見せてくれても、たいがいつまらんが、この小説は彼女の立場に立って弁護しているところが、なんだかなぁ、と思う。彼女の恋人となる男の子がまた酷い。こんな子に入れ込んで破滅する少女になんて共感できるはずがないではないか。
彼女の母親 . . . 本文を読む
これで3本とも見た事になる。今回の企画は予想をはるかに超える大ヒットだ。「今なぜか、テラヤマ」を3人の関西を代表する演出家たちによって3者3様のアプローチで見せ、それぞれ面白いものになっていた。12日まで、まだやっているので、ぜひISTまで行って欲しい。(また、宣伝してる!)
ウオーリー木下は戯曲ではなく、散文集である『書を捨てよ、町に出よう』を原作にして、いくつかの詩、短歌、散文をコラージ . . . 本文を読む
第2作を見ながら「もう、こういうCG映画はいいよ」と思ったくせに封切ったらすぐにまた劇場に来ている自分が情けない。つまらないと判っていてもサム・ライミの映画だというだけで見てしまう自分は『死霊のはらわた』の興奮をいまだに引き摺っているのか。あのバカバカしいスプラッターが封切られた時の驚きは今も鮮明だ。それまでのホラーとは全然違う映画だった。あんなにも笑いながら怖がれたことってそれまで無かった体験 . . . 本文を読む
1963年東京阿佐ヶ谷を舞台にして、嵐の5人を主人公に配した青春映画。犬童一心監督渾身の力作である。嵐のファンにしてみれば、これはかなり困った映画かもしれない。ここでは、彼らはかっこよく描かれていないし、お気楽な恋愛話とかもない。しかし、ここに描かれる夢を追い続けた頃の日本の姿は、夢を失ってしまった今の若い子供たちにとって、きっと《大切な何か》を感じ取ってくれるきっかけになるはずだ。
貧しい . . . 本文を読む