つれづれなるままに 150 才能

2006-11-15 16:21:16 | 雑記
人は、之はと言う物を一つは持っている。それが自分には何なのか、一生分らないで、人生終る人も居れば、いち早く自分の才能を見つけて、その才能を開花させ、楽しい華やかな人生を送る人も居る。芸能に秀でた人、芸術に秀でた人、これは遺伝子もあるだろが、自分の受け継いだ遺伝子をしっかりと受止め、努力もあるが花開かせている。
昨夜のコンサート歌曲を歌った友、Kitaraの舞台で堂々と歌う彼女も良き声の遺伝子を受け継ぎ、それに磨きをかけ、すばらしい美声を聴かせてくれた。
シャウリーダンスではないが、ダンスの腕前、めきめきと、バッチテストは次々と昇進の彼女も、それらを受け継いで居るに違いない。もちろん、彼女も人一倍の努力家ですが。
諷刺画、そして川柳と感心するほど、すばらしいものを描き、詩を作る、良く新聞を本を読み、日本の情勢、いや世界の情勢に目を向けているのだろうか、観察力鋭く頭の中はどうなっているのだろうか。これも才能か、遺伝か、両方なか、努力したって出来ない事もある。
大工道具と木切れ、瞬く間し作品に仕立てる友。これも才能なのか。
私、色々興味があり手を出す、歌、絵、スポーツ、しかしどれを取っても生まれ持った遺伝子が分らない、色々やってみる、それが適当に出来る。適当にこなせる、それは自分が生まれ持った遺伝子とは思わない、わからぬままに一生が終るのだろうか。自分が受け継いだ遺伝子は才能はなんなのだろう。適当になんでもこなす、これが私の才能何て言うのは、寂しい。自分でこれだけはと、自慢できるものは無い。これから分るだろうか。だぶん分らぬまま、人生終るのかもしれない。