年の瀬、今年も年賀ハガキを書く時期になりました。1枚1枚バレンを動かし版画に勤しんでいます。パソコン時代、楽にできますが、この1枚を楽しみにしている方がいたりして、版画で出来るうちはと今年も数百枚にもなってしまいました。毎年少しずつ失礼させていただき、減らしていますが、また新しい友が出来なかなか思うようにはいきません。
この鳴門大橋は6月、姉妹4人で行った旅行の版画です、これを作るのに版木裏表と、今回は6色、1枚に6回色を重ねています。
そもそも年賀ハガキは、特別扱いで戦前からあったようですが第二次世界大戦で中止、終戦後、新聞、ラジオ等で、「たずねびと」をやっており、こんな時、京都の林正次と言う方が、こんなとき年賀のやり取りを復活、さらにくじを付ければ、みんなが利用するだろうと郵政局に提案このアイデアが採用、現在に至っているようです。若者はメールの時代、この年賀ハガキも時代と共に消えるのでしょうか。
この鳴門大橋は6月、姉妹4人で行った旅行の版画です、これを作るのに版木裏表と、今回は6色、1枚に6回色を重ねています。
そもそも年賀ハガキは、特別扱いで戦前からあったようですが第二次世界大戦で中止、終戦後、新聞、ラジオ等で、「たずねびと」をやっており、こんな時、京都の林正次と言う方が、こんなとき年賀のやり取りを復活、さらにくじを付ければ、みんなが利用するだろうと郵政局に提案このアイデアが採用、現在に至っているようです。若者はメールの時代、この年賀ハガキも時代と共に消えるのでしょうか。