2、3年前の暮れ、ベトナム、アンコールワット観光の計画を立てました。しかし折りしも鳥インフレエンザが大流行、計画を断念してしまいました。またやっとチャンスが巡ってきました。3月末友と訪問する事になりました。
アンコールワットのミニチアはタイで見ましたが、今回はどうしても、ベトナムと言う国も訪れてみたいとベトナム、カンボジア(アンコールワット)2カ国訪問する事にしました。
ベトナムと言えば、私たちはベトナム戦争の悲惨さ思い浮かべます。
ベトナムは1000年にもわたる中国の支配下の後、ベトナム王朝が出現しますが、その間も近隣との紛争が繰り返され、フランスの支配下の元に置かれました。長い戦いの末、ジュネーブ協定により、北のベトナム民主共和国、南のベトナム共和国と北緯17度線を軍事境界線に南北に分裂されてしまいました。
ジュネーブ協定以降フランスは撤退しました、がそれに変わって今度はアメリカが介入してきました。
南部の武力開放と民族の統一を目指して南ベトナム開放民族戦線、北では北部ベトナム農民地帯でのゲリラ戦、南ベトナム政権が不安定になり、ついに1964年アメリカが北ベトナムの爆撃を開始、アメリカは約55万人の軍を南ベトナムに投入ベトナム戦争の始まりです。1975年アメリカ軍も撤退するまで約30年に渡った内戦が続きました。
現在のベトナムは「ドイモイ」ドイは変わる、モイは新しい、「新しく変わる」を目標に、日本など外国資本がこぞって進出、経済は急激に発展を見せています。
昨晩のテレビでも「新ベトナム」と活気に溢れたベトナムを紹介していました。南北に長いベトナムは地域により文化も風土もまったく異なっているとか、どんな顔を見せてくれるのでしょうか、楽しみです。
アンコールワットのミニチアはタイで見ましたが、今回はどうしても、ベトナムと言う国も訪れてみたいとベトナム、カンボジア(アンコールワット)2カ国訪問する事にしました。
ベトナムと言えば、私たちはベトナム戦争の悲惨さ思い浮かべます。
ベトナムは1000年にもわたる中国の支配下の後、ベトナム王朝が出現しますが、その間も近隣との紛争が繰り返され、フランスの支配下の元に置かれました。長い戦いの末、ジュネーブ協定により、北のベトナム民主共和国、南のベトナム共和国と北緯17度線を軍事境界線に南北に分裂されてしまいました。
ジュネーブ協定以降フランスは撤退しました、がそれに変わって今度はアメリカが介入してきました。
南部の武力開放と民族の統一を目指して南ベトナム開放民族戦線、北では北部ベトナム農民地帯でのゲリラ戦、南ベトナム政権が不安定になり、ついに1964年アメリカが北ベトナムの爆撃を開始、アメリカは約55万人の軍を南ベトナムに投入ベトナム戦争の始まりです。1975年アメリカ軍も撤退するまで約30年に渡った内戦が続きました。
現在のベトナムは「ドイモイ」ドイは変わる、モイは新しい、「新しく変わる」を目標に、日本など外国資本がこぞって進出、経済は急激に発展を見せています。
昨晩のテレビでも「新ベトナム」と活気に溢れたベトナムを紹介していました。南北に長いベトナムは地域により文化も風土もまったく異なっているとか、どんな顔を見せてくれるのでしょうか、楽しみです。