謹厳実直な番頭が、店の丁稚や若い者に細かな苦言を呈したあと「得意先回り」をすると言って店を出る。かつてから、こういう時のために借りている駄菓子屋の二階で、粋な着物に着替え、太鼓持ちや芸者衆を連れ、大川に浮かべた船で花見に出かける。店では謹厳実直な男なのだが、いやいや、外ではなかなかの遊び人だったのだ。
最初は、人目にたたぬよう大人しく遊んでいたが、酒が入るに従って調子に乗り、桜の名所で、陸に上がって目隠し鬼ごっこをする。そして、馴染みの芸者と思って抱きつくと、なんとそれは、たまたま通りかかった店の旦那であった。
で、明くる日旦那に呼び出された番頭が、「番頭さん、あの時は、どんな気分だった?」「はい、ここで会ったが百年目と思いました」
この「会う」を「遭う」にしたような事件が妹の七草(ナナ)と後輩の山路におきた。
「やあ、ナナちゃんじゃないか!」
そう声を掛けたときの、ナナは突然の出会いにナナらしい驚愕と面白さに、一瞬で生気に溢れた顔つきになったらしい。
あとで、ナナ本人に聞くと、一瞬ナナセに化けようと思ったらしいが(といっても、ナナセが本来のナナの姿ではあるが)一昨日切ったはずの指を怪我していないので……ナナセはナナの出任せで、指を怪我したことになっている。で、山路も、それを確認した上で、ヤンチャなナナと確信して声を掛けたのである。
「なんかテレビドラマみたいな出会いだな!?」
「なんで、山路が、こんなとこにいるのよ!」
この二言で、ナナといっしょに昼食に出た同僚たちは勘違い。
「じゃ、秋野さん、わたしたちはお先に……」
「すみません。変なのに出会っちゃって……!」
同僚達は、なにやら勘違いした。
「わたしたちは、いつものとこだから、そっちはごゆっくり!」
そして、桃色の笑い声を残して行ってしまった。
「おまえ、職場だと、かなりネコ被ってんのな」
「あたりまえでしょ。総務の内勤とは言え、この制服よ。会社の看板しょってるようなもんだもん。何十枚も被ってるわよ。でも、A工業の設計部が、なんで昼日中に、こんなとこに居るわけさ?」
「ああ、今日は防衛省からの帰りなんだ。飛行機一機作るのは、ロミオとジュリエットを無事に結婚させるより難しいんだ」
「プ、山男が言うと大げさで陳腐だね」
「大げさなもんか。じゃ、知ってるだけの日本製の飛行機言ってみろよ」
「退役したけど、F1支援戦闘機、PI対潜哨戒機、C1輸送機、新明和の飛行艇、輸送機CX……」
「そんなもんだろ。あと大昔のYS11とか、ホンダの中型ジェットぐらい」
「そりゃ、アメリカが作らせてくれないんだもん」
「いいとこついてるね。F2は、アメさんの横やりで作れなくなったし、ま、そのへん含めて大変なのさ。ところで、一昨日の延長戦やろうか!?」
「よしてよ、こんなナリで、木登りなんかできないわよ」
「昼飯の早食い。これならできるだろ?」
「う~ん、ちょっと待ってて」
ナナは、近くの喫茶店に行き、カーディガンを借りてきた。オマケにパソコン用だがメガネも。
「よーし、天丼特盛り、一本勝負!」
「ヨーイ、スタート!」
と、亭主がかけ声をかけて、厨房へ。ランチタイム、早食いとは言え、終わりまでは付き合っていられない。三分後に見に来てくれるように言ってある。
座敷といっても、客席からは丸見えで、一分もすると、その迫力に人だかりがした。
「「ご馳走様!!」」
「三分十一秒……こりゃおあいこだね」
亭主の判定と、お客さん達の拍手をうけて、割り勘で店をあとにする二人であった。
地下鉄の入り口で別れようとしたときに、山路のスマホが鳴った。
「出なくていいの?」
「ああ、これはメールだからな」
「そう、じゃ」
「またな」
またがあってたまるか。そう思って、いつものナナ=ナナセに戻って歩き出すと、後ろから山路の遠慮無い気配。
「やったぞ、ナナ。チョモランマの最終候補に残った!」
それだけ言うと、山路は、直ぐに地下鉄の入り口に消えた。
七草は、ナナともナナセともつかぬ顔で見送った……。