僕は独立開業してすぐの一年間、デザイン専門学校でCGの講師をしていたことがあります。その時に助手としてお付き合いのあった女性から昨夜電話があり、パソコンのトラブルで修復ソフトを貸して欲しいと依頼されていました。
正午に千里山駅で待ち合わせ、ル・パルクで食事をしながら互いの近況などを話していますと、彼女が僕のことを「先生」と呼ぶことに違和感を感じない自分に気がつきました。
僕はデザイナーという職業柄なのか、クライアントの人達の中には僕を「先生」と呼ばれる方もいらっしゃいます。もちろん僕は「先生」は止めて欲しいとお伝えするのですが、又しばらくして訪れると同じことになります。取りあえず適当な呼び方も見つからないので、「先生」と持ち上げておけばという程度だと自嘲気味に推測するので、少し居心地が悪いのだと思います。
でも一年間は確かに学校で師弟関係(?)にあった人達が、僕を自然に「先生」と呼んでくれることには素直に応じられる自分がいます。偶に成長した教え子に会った時に感謝の言葉を貰ったりすると、教師冥利というものがちょっぴり解った気になります。
僕が20代に長期入院していた頃、同室に一人の中学校の校長先生がおられ、親しくお話をお聞きする中でこんなことがありました。
「先生とは、“先に生まれた”ということではなくて、“先を生きる”ことでなくてはならない。半歩でも一歩でも先を生きる者が先生なんです。」
わずか一年間でしたが僕を「先生」と呼んでくれる人達には、どんな時も半歩でも頑張って先を生きていたいと思う自分がいます!!
※ 写真は、彼女のお土産のマンゴー&プリンを、カフェ・ド・ゴーシュのアイスコーヒーで頂いているものです。
正午に千里山駅で待ち合わせ、ル・パルクで食事をしながら互いの近況などを話していますと、彼女が僕のことを「先生」と呼ぶことに違和感を感じない自分に気がつきました。
僕はデザイナーという職業柄なのか、クライアントの人達の中には僕を「先生」と呼ばれる方もいらっしゃいます。もちろん僕は「先生」は止めて欲しいとお伝えするのですが、又しばらくして訪れると同じことになります。取りあえず適当な呼び方も見つからないので、「先生」と持ち上げておけばという程度だと自嘲気味に推測するので、少し居心地が悪いのだと思います。
でも一年間は確かに学校で師弟関係(?)にあった人達が、僕を自然に「先生」と呼んでくれることには素直に応じられる自分がいます。偶に成長した教え子に会った時に感謝の言葉を貰ったりすると、教師冥利というものがちょっぴり解った気になります。
僕が20代に長期入院していた頃、同室に一人の中学校の校長先生がおられ、親しくお話をお聞きする中でこんなことがありました。
「先生とは、“先に生まれた”ということではなくて、“先を生きる”ことでなくてはならない。半歩でも一歩でも先を生きる者が先生なんです。」
わずか一年間でしたが僕を「先生」と呼んでくれる人達には、どんな時も半歩でも頑張って先を生きていたいと思う自分がいます!!
※ 写真は、彼女のお土産のマンゴー&プリンを、カフェ・ド・ゴーシュのアイスコーヒーで頂いているものです。
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