続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

八月。

2014-08-07 06:43:49 | 日常
 全てが機械化されフル稼働している現在では、二八(ニッパチ)という言葉は死語かもしれない。
 内職をしていた頃、二月と八月の仕事のない時期を楽しみにしていた。なぜ、二月と八月なのかは判然としなかったけれど、その頃になると夜を徹していた仕事も確かに激減し、空白の日々が続いた。収入がなくなる不安よりも、時間が出来る嬉しさが先行し、机の脇に積んだ布地をしっかり両手に掴み、何を作るかを夢想することの至福はわたしを酔わせた。
 何の技術も無いのに、生地を5mとか10mという風に大雑把に購入するので、結局簡単なエプロンを10枚も作るという単純作業になり(笑止)バカバカしいほどの汗を流していた。よって、その頃作ったエプロンを未だにしているという具合。

 暇な時には、カフカや賢治の作品をテープに吹き込み、仕事中あるいは就寝時に流したりもしたけれど、夫が耳障りだというので止めてしまった。自分に関心のない音はただうるさいだけかもしれない。
 それでも、八月は仕事の手を休める嬉しい期間だったから、夏の暑さなんて少しも気にならなかったと記憶している。これらは、三十代四十代の頃の話である。

 五十代以降は無職に甘んじ、ずっと日曜日状態。人より速い劣化もこうした怠慢な生活から来ているのだろうか。自分らしい生き方の模索も、繰り返される日常茶飯事に飲み込まれ沈下している。

《頑張れ、頑張れ、がんばれ自分》
 遠く弱い響きが聞えないでもない。
 わたしは自分に負けているのだろうか。身体の劣化に意欲まで比例している・・・。
 八月の嬉々とした気持ちが懐かしい(老境)。
 
 八月を心弾む時間に染め抜くことが出来たら・・・。負けが混んだわたしの人生に光あれと夢想してみる。

『ポラーノの広場』416。

2014-08-07 06:29:52 | 宮沢賢治
ところがそれをだしにしてわたくしのある部下のものがわたくしを脅迫しました。あの晩はじつに六ヶしい場合でした。あそこに来てゐたのはみんな株主でした。わざとあすこをえらんだのです。


☆部(区分けし)化(形、性質を変えて別のものにして)教(神仏のおしえ)を吐く(言う)。
 番(代わる代わる行う)録(文字に書き記す)、号(しるし)の帖(書き付け)に頼り、趣(考え)を取(自分のものにしている)。

『城』1702。

2014-08-07 06:13:21 | カフカ覚書
やがて夜になって主人が帰ってきて、破損具合をしらべ、できるだけ修繕しようとおもって出かけていきますと、助手たちも、あとを追いかけてきましたの。たぶん、ここでふたりきりで残っているのがこわかったためでしょう。そして、主人がこじあけた扉のところで仕事をしているのを見たのです。それで、さっきみたいなことを言うのですけれどもーこれじゃ、まるっきり子供ですわ」


☆やがて死がやってきて損害などをよく見て、もしかしたらそれを修復しようと出ていきました。助手(脳、知覚/精神)も後をついていきました。たぶん、先祖が残っているのを恐れたのでしょう。大まじめに企みである現場不在を為し遂げたので言うのですけれど、今はただ子孫の存在があるだけです。