続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

真夜中の月。

2014-08-17 07:16:40 | 日常
 夜中の二時、不意に目が覚めて階下で水を呑んだ。
 何気なくタンクの汚れを拭き取ると、なぜか洗剤を手に取り、やおらゴシゴシ磨き始めた。日中の暑さもなく心地いい風が窓から静かに流れてくる。
 つぎはガスレンジ・・・床も・・・テーブルの上も・・・。

 真夜中がこんなに楽しいなんて! 《おもちゃの兵隊が踊りだす》なんていう歌があったけど、そんな気分。
 ついでにお米もセットして朝食の準備もあれこれ考えて・・・いいなあ、この時間帯。いつも眠っていたけど眠るにはもったいないほどの快適。
 でも夜中に起きるというサイクルにするには就寝時刻を前倒しにする必要が出てくるし、日中睡魔に襲われてポカーンと空白タイムが生じる可能性も否定できない。


 思えば、二十四時間はおろか一年中ほとんどを自由に使える老年時代って素晴らしい!老いて身体機能に支障は多発、見るからに老人の態、速く進みたくとも薄汚れた廃棄寸前のネジ巻きおもちゃ同様の摺り足。
(気持ちはね、若い頃と変っていないの)なんて言おうものなら、若い人は気持ち悪がって退いてしまうかもしれない。

(子供と同じ)この表現のほうが適切で、(そのうち赤ちゃん帰りね)などと肯かれて、万事丸く収まるというもの。少しの配慮で楽しく暮らせる高齢時代。

 真夜中は若者だけのものではない、高齢者にとっても更なる自由を与えられたような特別の時間。
 かつて父が存命だった頃、夜中の二時に起きて雨戸を開け、月を眺めていたことがある。「こんな時間から雨戸を開けるのはやめて頂戴」とわたしは父を叱り付けた。

(ごめんなさい、ごめんなさい)今頃になって、真夜中の時間の芳醇に目覚めるなんて・・・はやく気づいて一緒に月を眺めたらよかったのに・・・お爺さん、ごめんなさい。娘のわたしもすっかりお婆さんになりました。

『ポラーノの広場』425。

2014-08-17 07:07:13 | 宮沢賢治
「うん、さう急がないでもよろしい。」所長はカラーをはめてしまってしゃんとなりました。わたくしは礼をして室を出ました。

 急がないではキュウと読んで、求。
 所長はショ・チョウと読んで、諸、眺。
 礼はライと読んで、頼。
 室はシツと読んで、悉。
 出ましたはスイと読んで、推。

☆求める諸(もろもろ)を眺めることの頼り悉(すべて)を推しはかる。

『城』1712。

2014-08-17 06:17:42 | カフカ覚書
「たとえ助手たちがすこしばかり折檻されたところで、わたしは、気の毒だともおもわなかったことでしょう。これまでに折檻されて当たりまえのところを十回もこらえてやったのですから、彼らにしてみれば、こんどは折檻される理由はなかったにしろ、とにかく一回で十回分の罪ほろぼしができるわけですからね。


☆たとえ助手たち(脳/精神)が少しばかり叩かれたところで、わたしは残念に思わなかったでしょう。先祖の汚点が十戒で赦されたようですが、先祖は不当な罪の償いをしたのです。(Zehn・・・die Zehn Gebote)