村上春樹作品集のなかの初期の短編を読んでみた。
『貧乏な叔母さんの話』貧乏という言葉に反応したのだろうか、貧乏なオバさんであるわたしがちょこっとページを括って悪いわけがあるだろうか・・・という気分で読み進めると、何だか眠っていたある種の感覚が烈しく作動し始めるのに、むしろ自分の方が付いていけない気持ちになった。
この作家は何が言いたかったのだろう。何ものでもない何かをあたかも見えるように言葉という道具で創る、否、もてあそんでいる。七月の王国、光の微塵という幻想から秋の終わりの季節までのほんの短い時間、僕の背中に貼り憑いていた貧乏な叔母さんという存在の不確かさを描写している。そしてもし一万年後に彼女たち(幻想)だけの社会が出現したとすればとありえないほど遠くの未来(長い時間)を空想し、そこに僕という存在が幾つもの冬を越えて生き続けるかのような錯誤した時空の物語である。
ありえない話ではなく、ありうる現実を描いて錯綜した異空間を垣間見せる。読者はその魔術に惹きこまれていく。本を閉じれば現実は直接的に迫ってくるが、本の中の奇妙な時空に未練を残してしまう。
(あれは何だったのか)
僕の眼からは貧乏な叔母さんは見えない。しかし、明らかに感じているし、周囲の眼差しもそれ(貧乏な叔母さん)に反応している。「あなたの背中にはっきりと見える」とまで言わしめ、その存在を読者の知覚に刻んでいく。概念的な記号に過ぎないかもしれない貧乏な叔母さんという存在、この嘘から出た真のような二重構造は移ろいの時と共に薄らぎ、僕の中に沈黙という形で一体化してしまう。
そうした日を重ねているうち電車の中で出会った母子たち(現実)にその幻想は吸い取られ、あるいは重なって正体を失っていったのだろうか、僕の背中から貧乏な叔母さんは消えてしまったということに気づく(あくまで気づくのであって、質量を持ったおばさんが消えたわけではない)。そのことを告げるべく連れである彼女に電話をするが当然ながら僕と彼女の想念には大きなズレがあり埋められるべくもなく、酷い空腹(空漠)に襲われてしまう。
無限に続く限りないほどの空虚・・・。
そもそも貧乏な叔母さんとは何だったのか。
貧乏は貧しいということではなく存在は薄いが確実に存在している、意識しなければ永遠にその存在に気づかないような何かを・・・。わたし達は得体の知れないものに寄り添われながらある日その消失にも気づかずに何事もなかったように世界の中の雑踏に息をしているのかもしれない。
重層的なトリック、奇妙な時空の切り方は実験的な現象のようにも感じる。言葉の飛躍は軽々とミステリアスな光彩を放ち、世界の中に沈み込んでいく。静かなる谷底であり、透明無限な天空の高さに挑戦しているような浮遊、そんな読後感。
『貧乏な叔母さんの話』貧乏という言葉に反応したのだろうか、貧乏なオバさんであるわたしがちょこっとページを括って悪いわけがあるだろうか・・・という気分で読み進めると、何だか眠っていたある種の感覚が烈しく作動し始めるのに、むしろ自分の方が付いていけない気持ちになった。
この作家は何が言いたかったのだろう。何ものでもない何かをあたかも見えるように言葉という道具で創る、否、もてあそんでいる。七月の王国、光の微塵という幻想から秋の終わりの季節までのほんの短い時間、僕の背中に貼り憑いていた貧乏な叔母さんという存在の不確かさを描写している。そしてもし一万年後に彼女たち(幻想)だけの社会が出現したとすればとありえないほど遠くの未来(長い時間)を空想し、そこに僕という存在が幾つもの冬を越えて生き続けるかのような錯誤した時空の物語である。
ありえない話ではなく、ありうる現実を描いて錯綜した異空間を垣間見せる。読者はその魔術に惹きこまれていく。本を閉じれば現実は直接的に迫ってくるが、本の中の奇妙な時空に未練を残してしまう。
(あれは何だったのか)
僕の眼からは貧乏な叔母さんは見えない。しかし、明らかに感じているし、周囲の眼差しもそれ(貧乏な叔母さん)に反応している。「あなたの背中にはっきりと見える」とまで言わしめ、その存在を読者の知覚に刻んでいく。概念的な記号に過ぎないかもしれない貧乏な叔母さんという存在、この嘘から出た真のような二重構造は移ろいの時と共に薄らぎ、僕の中に沈黙という形で一体化してしまう。
そうした日を重ねているうち電車の中で出会った母子たち(現実)にその幻想は吸い取られ、あるいは重なって正体を失っていったのだろうか、僕の背中から貧乏な叔母さんは消えてしまったということに気づく(あくまで気づくのであって、質量を持ったおばさんが消えたわけではない)。そのことを告げるべく連れである彼女に電話をするが当然ながら僕と彼女の想念には大きなズレがあり埋められるべくもなく、酷い空腹(空漠)に襲われてしまう。
無限に続く限りないほどの空虚・・・。
そもそも貧乏な叔母さんとは何だったのか。
貧乏は貧しいということではなく存在は薄いが確実に存在している、意識しなければ永遠にその存在に気づかないような何かを・・・。わたし達は得体の知れないものに寄り添われながらある日その消失にも気づかずに何事もなかったように世界の中の雑踏に息をしているのかもしれない。
重層的なトリック、奇妙な時空の切り方は実験的な現象のようにも感じる。言葉の飛躍は軽々とミステリアスな光彩を放ち、世界の中に沈み込んでいく。静かなる谷底であり、透明無限な天空の高さに挑戦しているような浮遊、そんな読後感。