続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

夏の終り。

2014-08-22 06:54:21 | 日常
『八日目の蝉』という小説があったけど、蝉は六年間も地下に眠り地上に出ては、たったの一週間で尽き果てると聞いている。

 八月も下旬になるとベランダなどに蝉の亡骸が幾つも転がっている。つまみ上げようとすると突然渾身の力をこめ、飛んで逃げて行く。こちらは驚くものの、攻撃することもない蝉の哀れに胸を衝かれてしまう。

 短い生命、八日目にも蝉は生きているかもしれない・・・それにしても儚い生命。宿命である、天命を持って人間が現世と呼ぶ世界から消えていく。
 あんなにひどく鳴いていた蝉たちは、何を告げていたのだろう。物言わぬ虫や蝶に感情移入して感傷的になる。

 夏の終わりは、どこか、もの悲しい。酷暑もここ数日だとニュースでは伝えている。
《猛暑を迎え討つ》というような気迫も薄らぎ、(もういい、安心して涼やかな秋を待つばかりだ)という安堵の気持ちが緩やかに膨らんでいる。

《まだまだこれから夏》と《夏はもう終ったのね》では心持が全然違う。ひと夏を無事に越えた達成感である。
 夏は恋の季節でも何でもなく、個人的に逼塞状態で耐え忍んだに過ぎないのに、この小さな満足。
 横浜トリエンナーレもTV『横濱ツウ』を見て、肯いている体たらく。

 こんな夏の終わり、蝉のお墓でも作ろうか・・・。
 夏に付き物の宿題・・・どこかに置き忘れたまま、何年分も溜まっているかもしれない。(えっ、そんなものどうでもいいの?)(そうなの・・・よかった。)

『ポラーノの広場』430。

2014-08-22 06:45:53 | 宮沢賢治
俄かに舟がぐらぐらゆれ、何でも恐ろしくむかし風の竜が出てきてわたくしははねとばされて岩に投げつけられたと思って眼をさましました。誰かわたしをゆすぶってゐたのです。


☆画(えがくこと)を修(ととのえ)、化(形、性質を変えて別のものになる)で、教(神仏のおしえ)を封(とじこめ)、流(広まるように)遂(やりとげる)。
 願いは、等(平等)であり、詞(ことば)から願いを推しはかる。

『城』1717。

2014-08-22 06:26:31 | カフカ覚書
「あなたは、わたしの上役にちがいありませんが、この地位につけてくださったのは、あなたではありませんからね。それは村長さんです。わたしは村長さんの解雇通知しかみとめませんね。


☆「あなたは、わたしの先祖にちがいありませんが、この場所をあたえてくれたのはあなたではありません。大群の教区の責任者です。わたしは彼の解約通知しか受け取りません。