続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

李禹煥先生の講演②

2015-11-01 10:05:47 | 美術ノート

 昨日の講演は白熱教室だったけれど、先生は常にそうした姿勢で臨まれていると思われる。
 通常と同じ・・・変わらない情熱。

 拝聴していると、先生の原点が見えてくる。つまり一点を置くその位置である。与えられた空間(二次元・三次元の場合に限らず)に、異物を関与させることから始まる作家としての視点。
 心象世界、絵に描いた餅ではない。必然的にプランはご破算になることも多いかもしれない。

 (宮本武蔵のようだ)という感想を抱いてしまう。空間・立地を身体で把握し、切り込み方を想像する。待つことと去る方向を時空に位置付け、相手に挑む姿勢である。もちろん風向きや太陽の昇降をも計算する。

 李先生は「作品は息を吸い息を止めるときにできますから、息を吐くときは休息です」という。

 「石が石を越える、その現象を思考錯誤しながら究めていくのです」と言う。それは、白紙に一筆入れる呼吸に相通じるものがある。いわば、《余白との対話》である。
 つねに『存在と非存在の関係性』を念頭に入れ、一つ置けば一つ空間(無に見えるもの)が消えることをその身体性で図っている。
 これは頭で考えてもダメだし、単に素材をそれらしく並べても作品とは成りえない。複合的な要素が一つに合致し主張を持ち始めるタイミングを抑えることである。そして(古来からの手法にあるように)完成から一手差し引くことにより、総体的な含みを持たせることが出来るという。

 李先生は教育者でもある。質問者に並べて「それは良い質問です」と大いなる肯定を示す。そして、その後の発言によって微妙な差異、主張を調整するという具合の答を返している。
肯定・否定・大いなる肯定は思考の王道かもしれない。

 点から線、そして世界を鮮やかに垣間見せ、太古の眠りである石や鉄から未知との遭遇を提示する。

 井の中の蛙のわたし、大いに感銘を受けた昨日の講演会でした。


李禹煥先生の講演①

2015-11-01 07:15:56 | 美術ノート

 鎌倉商工会議所会館・地下ホールにての講演。

 「鎌倉から美術館を失くすというのは痛恨の極みであり、若い人が集う学術の場がないということは、鎌倉たる所以を欠くに等しい。この鎌倉近代美術館の存在意義を問えば自ずから答えは見つかるはず・・・」と。そして「諸外国、また他の美術館と比しても、特有の条件を持つ発表の場である」と述べ、「アーテストは美術館によって育てられるし、自分も例外ではない。美術館というものは、見る側と見られる側との共有の場である。その文化、学術の礎を鎌倉の地に是非残し育てるべきではないか」との意見を拝聴。

 李先生は、かつて開催された鎌倉美術館での個展の難しさを述懐、「熟知しているはずの空間でありながら、いざ作品を設置するときになると相当な迷い混乱が生じてしまった。
 それは透明ガラスの壁で外界との境が希薄であり、自然の広がりや光や温度差、複合的な条件が交錯するので、作品(たとえば石、鉄板)との関係性が曖昧になってしまう、という不都合です。(「完全に遮蔽された空間であれば生じない問題ですが」とも。)

 作品(石や鉄板など)がその物(対象物)を《超える》という現象を目にする瞬間までの試行錯誤です。そのものが周囲との関係性を肯定する現場に立ち会うということであり、その完結性を促す刺激として微妙な差異を生じさせます。心理的な差異を物理的な差異に置き換えるわけですが、角度であったり、切り落としたり曲げたりというプロセスをも踏みます。
 ですから、「きみの鉄板はわたしと同じはずなのに軽薄に見えるのはなぜだろう」と疑念を抱かれることがありますが、そこには、浮かせてみたりと細かい配慮があるのです。(ちなみに浮かせるということは軽く見えるが、現実には〈物量×距離〉だから更に床に負担がかかる行為である)

 これからの人たちへの進言として「世界に出ることです、情報を網羅し励むことから見えてくるものがあるはず」と力説。


 (新しい時代、仮想がリアルに光の魔術として厳然と現れるコンピューターの操作。それら新機種・新素材が新人アーテストを待ち構え、見たことのない景色を垣間見せてくれるのではないか)
 李先生のお話、ここには書ききれないほどの熱い講義内容でした。
 ありがとうございました。

ps ベルサイユでの作品、衝撃的でした。あの王宮を空と大地の中に切り取ったんですから・・・。


『銀河鉄道の夜』126。

2015-11-01 06:49:26 | 宮沢賢治

「銀河ステーションで、、もらったんだ。君もらはなかったの。」
「あゝ、ぼく銀河ステーションを通ったらうか。いまぼくたちの居るとこ、ここだらう。」
 ジョバンニは、白鳥と書いてある停車場のしるしの、すぐ北を指しました。


☆吟ずる講(はなし)は訓(教え導くこと)である。
   吟ずる講(はなし)は二つの拠(よりどころ)があると吐く。
  調べる諸(もろもろ)の体(ありさま)には赦(罪や過ちを許す)情(物事に感じて起こる心の動き)があり、北(にげる)のを止める。


『城』2131。

2015-11-01 06:36:07 | カフカ覚書

しかし、高級な従僕、もちろん、村ではこの人たちの姿を見かけることもできないのですが、バルナバスの話では、やはり官服をもっていないそうです。
それならばいくらか慰めになるじゃないk、と早合点なさるかもしれませんが、そんな慰めは、当てになりません。と言いますのは、バルナバスは、高級な従僕でしょうか。


☆しかしながら、高級な盤さんもここ来世では見ることはありません。後にバルナバス(生死の転換点)の報告では移住の職務はないそうです。先祖の信ずべき慰めではないかと早合点なさるかもしれません。と言いますのは、バルナバス(生死の転換点)は先祖の高級な晩餐にいたでしょうか。