飛葉・・・葉ではなく、飛葉・・・。
樹から離れた葉は《生命の終わり=死》を意味し、見る者は自然の循環の一刹那の現場に立ち会うということである。周期的リズムに結末はなく、終わりの始まりとしての《葉/飛葉》なのである。
その落葉に見える生命の振幅、刻々と変化し場を移していく。地に眠り、地上に姿を現し、地に落ちていくバイオリズム。
若林奮の描いた大量のスケッチ、同じような点描(線描)の樹木は、生命への哀惜、生命への讃歌に見える。陰影とか全体のボリューム感を越えた独自の眼差しは、樹への大いなる共感であり、むしろ一体感ともいえるものではないか。
脈々と続く現象の刹那への感動、生命の振動は自然(森)のなかで大々的な儀式と化している。
多くの川を渡り、再び森の中へと還っていく自然(樹木/葉)の祭りは、眼には見えない。けれど、自然は人間の時間よりもはるかにゆったりとした流れの中で荘厳な世界を展開している。
見る者はその刹那に立ち会わせてもらっているに過ぎない。
この『多くの川を渡り、再び森の中へ』の大量のスケッチ(一部)を見ていると、《祈り》の形に見えてくる。
自然は人為に動かされない、在るがままの風景に敬意を払うこと、むしろ回帰の形をこそ求めた仕事の強靭さに心服するものである。
(写真は神奈川県立近代美術館『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)