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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

高所恐怖症。

2015-11-30 07:24:12 | 日常

 先日私が恐怖に慄いた崖の行軍 (?)、サークルで話すと、
「わたしなんか、そういう危険なとこ大好きだわ」と友人。
「あら、わたしも好きよ。わくわくしちゃう♪ ♡」
「・・・」

 例の四人会でも、長沢のMさんは、
「小学生の時、学期末には六学年揃ってみんなで山登り。先生に引率されて、三浦富士から砲台山なんて何回も行ったわ」と言い「楽しかったわ」と回想した。


 思えば重度の高所恐怖症のわたし、小学生の時、観音崎の灯台にも登れなくて先生に「ここで待っていなさい」と一人だけ取り残されたことがある。

 怖くて怖くて・・・情けないわたし。地下鉄もどんどん深くなって、東京にも一人では行かれなくなってしまった。横浜のみなとみらい線も怖い…Ah。

 どうしてみんな平気なの?
 でも、高所はダメだけど、閉所は平気。ダメだダメだ、こんな小心、陰気な性格では。

 この次、同じ所へ行けるかな?…ムリムリ… 絶対ムリ!


若林奮《日の出、日没(4線)[2nd stage]》

2015-11-30 06:30:00 | 美術ノート

 [2nd stage]って何だろう、4線・・・。
  「日の出、日没」という大きなステージである。作家は地上に立ち太陽の昇降を感じ、その大いなる空間に改めて衝撃を覚えたに違いない。

 この胸に迫るような感動的な時空を切り取り、一つの作品に収めるという仕事は容易ではない。第一に不可能な事象として普通なら断念せざるを得ない。しかし、何としてもその刻々と変化していく時空を切り取り提示したいという凝視の信念が《日の出、日没 Ⅳ》に次ぐ[2nd stage]につないだのではないか。

 [2nd stage]とはまさに(4線)、4次元である。幅(線)奥行(平面)高さ(立体)加えることの時間。
  作品は左から立体・平面・線、そして刻まれた時間の暗示(提示)が並列されている。
  三次元こそが惑星である地球の原点・存在理由である。そして太陽(日の出、日没)による時間の概念が、自分を自分たらしめている根源的な(見えない)形なのだと確信したのではないか。


  若林奮の考える彫刻、彫刻というより、存在理由の探究と換言出来るかもしれない。
   地表面の危うさ、地下に123枚(3メートル)重ねた鉄板・・・度肝を抜くほどの地下への浸透圧力。それらは地表がいかに浅薄なものであるかの逆説的な証明である。(地球は中心から内核・外核・下部マントル・上部マントル・地殻でできており、言うまでもなく地表面はどんなに掘り進めても、揺れただけで崩壊の危機を孕む薄い表層である。)

  若林奮の眼差しは、鑑賞者を目覚めさせる。
  作家の熱い眼差し、「この意図が分かるか?」挑戦状二さえ思える作品群である。


(写真は神奈川県立近代美術館/葉山『若林奮 飛葉と振動』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』155。

2015-11-30 06:20:16 | 宮沢賢治

二人は一度にはねあがってドアを飛び出して改札口へかけて行きました。

  二人はジ・トと読んで、字・図。
   一度はイツ・トと読んで、逸・途。
   飛び出してはヒ・スイと読んで、秘・推。
   改札口はカイ・サツ・コウと読んで、廻・察・交。
   行きましたはコウと読んで、講。


☆字の図りごとが逸(隠れている)。
  途(道筋)の秘(人に隠して見せない)を推しはかる。
  廻(まわる/もとにもどるもの)を察(明らかにし)、交(行き来する)講(はなし)である。


『城』2160。

2015-11-30 06:10:24 | カフカ覚書

わたしにたいしてさえ、率直には話してくれないんです。あの子の疑惑を訊きだそうとおもったら、さんざん甘やかしたり、キスをしてやったりしなくてはなりません。その場合でさえも、その疑惑が疑惑であることをどうしてもみとめようとしません。


☆わたしに対してさえ自由にものを言いません。疑念を訊くためには、お世辞を言ったり、さんざんキスをしたりしなくてはなりません。そのときでさえ、疑念が疑念であることを、やはり認めようとはしません。