続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『星座』

2015-11-04 06:49:23 | 美術ノート

 『星座』というタイトル、漠然として何の星座かわからない。星座そのもの…としたら、やっぱり神話を想起すべきかもしれない。
 神話とは恒星の天球上における見せかけの配置に物語を被せて時節を計ったもので、多くはギリシャ神話などに見られる古代からの現象を神格化した寓話である。

 創世…《世界の始まりはこうであった》という現象の集まりではないか。
 
 天空から下ろされた幕、これは天動説の現象である。(地動説では幕は張れない/現実にはどっちも張れないけれど)そこに、オリーブの葉と二羽の鳩となれば、明らかに信仰の世界の逸話である。

 巨大化・肥大化された一葉は自然の樹木を圧する大きさで立ちはだかっている。想念が自然より優位にあるという現象である。遥かな平地はどこまでも平らで地上は球体ではない。地平線のはるか向こうの空は有り得ないような不気味な薄い黄色であり、雲波も何故か平らである。

 これは、《地動説や地球が丸いこと》の否定ではないか。

 遥か昔、空を見上げて考えた星座の夢の物語、見せかけの世界の鎮座・・・そういう時代を物言わずして作品に納めたマグリットの心境・・・しかし、真意が語られることはない。

 動かぬ天球(厳密には動いているが)、動く地球の関係は視覚では捉えにくい。見ることと、見ている対象世界の真実と・・・わたし達は錯覚を正視しながら生きている。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


「銀河鉄道の夜」129。

2015-11-04 06:35:07 | 宮沢賢治

けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとほって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のやうにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。


☆記に兼ねたものを推しはかる。
  遂げる蘇(よみがえり)の願いは、仮の幻である。
  詞(ことば)を把(手に取って)肯(うなづく)交(いりくんだ)章(文章)は縷(細くつらなる)講(はなし)也。
  現れる倫(すじみち)の講(はなし)は、算(見当をつけ)拡(広げ)評(品定めをすること)を律(きまり)としている。


『城』2134。

2015-11-04 06:26:53 | カフカ覚書

それを証拠だてるような二、三の事実がありますわ。高級従僕ともなれば、あまり仕事もしないのです。そして、バルナバスの話によると、この屈強な、えりぬきの大男たちが廊下をのそりのそりと歩きまわっている様子は、見るもすばらしい光景だということです。


☆それについて先祖の話によると、少数の不在証明であり、高級な晩餐ともなればそれより少ないのです。そしてバルナバス(生死の転換点)の話によると、高名な強い力を持った男たちが周りを常に通っているのを見るそうです。