『礼節の教え』、岩石と樹木が地平に並び立っている。青空を隠した曇り空と何もない地平。
どこに礼節があるのかさえ不明な感じ、何に対しての礼節なのか・・・。
礼節とは相手を敬い慎み深くすることであり、この二つの対象物の間にそれがあるという・・・。
否、岩石と樹木のみが描かれているわけではないことに気付く。雲と大地、大地の果てにそれとなく見えるのは海かもしれない。
岩石というものは地球の歴史と共にある(カナダでは42億8000年前の岩石が発見されている)。また樹木というものも、生命の木(知恵の木)・菩提樹・オリーブの木など、 神格化されたシンボルの崇高さを秘めている。
しかし、その背景にある薄呆けた曇り空、水蒸気の塊である雲(水)こそは、硬い岩石をも風化させる力を持つものであり、樹木(生物)に欠くことのできない根源である。
《岩石と樹木》の対等性の前にはだかる《雲=水》こそ礼儀をもって敬うべき存在ではないか。
そして、岩石は地球(大地)内部のマグマが冷えて出来たものであるし、樹木は根を張る大地なくして立っていることは不可能である。
つまり『礼節の教え』とは二者対立の関係を問うことではなく、時空(世界)全体をもって《生かされて在る》ことの共存関係への感謝を意味しているのだと思う。
印象的に眼に入るものの存在だけではなく、その背後の支柱、軸を配慮する必要性への勧告でもある。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)