続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『礼節の教え』

2015-11-21 06:37:21 | 美術ノート

 『礼節の教え』、岩石と樹木が地平に並び立っている。青空を隠した曇り空と何もない地平。
 どこに礼節があるのかさえ不明な感じ、何に対しての礼節なのか・・・。
 礼節とは相手を敬い慎み深くすることであり、この二つの対象物の間にそれがあるという・・・。
  否、岩石と樹木のみが描かれているわけではないことに気付く。雲と大地、大地の果てにそれとなく見えるのは海かもしれない。


 岩石というものは地球の歴史と共にある(カナダでは42億8000年前の岩石が発見されている)。また樹木というものも、生命の木(知恵の木)・菩提樹・オリーブの木など、 神格化されたシンボルの崇高さを秘めている。

 しかし、その背景にある薄呆けた曇り空、水蒸気の塊である雲(水)こそは、硬い岩石をも風化させる力を持つものであり、樹木(生物)に欠くことのできない根源である。
 《岩石と樹木》の対等性の前にはだかる《雲=水》こそ礼儀をもって敬うべき存在ではないか。
 そして、岩石は地球(大地)内部のマグマが冷えて出来たものであるし、樹木は根を張る大地なくして立っていることは不可能である。


 つまり『礼節の教え』とは二者対立の関係を問うことではなく、時空(世界)全体をもって《生かされて在る》ことの共存関係への感謝を意味しているのだと思う。
 印象的に眼に入るものの存在だけではなく、その背後の支柱、軸を配慮する必要性への勧告でもある。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』146。

2015-11-21 05:39:15 | 宮沢賢治

思はず二人もまっすぐに立ちあがりました。カンパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのやうにうつくしくかゞやいて見えました。
 そして島と十字架とは、だんだんうしろの方へうつって行きました。


☆試(こころみる)字の図りごとが律(きまり)である。教(神仏のおしえ)を熟(じゅうぶん)に併(合わせ)加えている。
 現れる等(平等)や自由を示す化(形、性質を変えて別のものになる)で、法(神仏の教え)を乞う(願う)。


『城』2151。

2015-11-21 05:28:23 | カフカ覚書

「オルガ」と、Kは言った。「あんたは、まさか冗談を言っているのではないでしょうな。クラムの外貌については、どうして疑いの余地があるでしょうか。彼がどんな様子をしているかは、周知のことじゃありませんか。ぼくだって、この眼でクラムを見たんですよ」


☆「オルガ(機関・仲介者)と言った。「まさか、冗談を言っているのではないでしょう。クラム(氏族)については、先祖の疑惑が存続しています。それにもかかわらず、彼の様子は知られています。わたし自身彼を見たんですから」