続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『本来の意味』

2015-11-19 06:36:04 | 美術ノート

 『本来の意味」とは、どういうことだろう。
 四つに分割された画面、Corps de femme(女の身体)・ブルー(天空/水面)・濃いグリーン(樹木/森林)・煉瓦・・・鑑賞者は自身のデーターの中でどうしてもこれらを想起せざるを得ない。

 脈絡は有るようでいて無いかもしれない。これら四種は分割しなくても一枚の絵画空間の中にそれぞれの要素を描き入れることは可能かもしれない。
 しかし、そうしない理由。
 そして、あえて黒色で+ではなく×の形に区切った理由はあるのだろうか。+は平板であり、×は否定を孕んでいる。

 色や形や文字には、すでに意味(イメージ)が付着している。女の身体にはSex、天空(青)には自由と解放、深緑には生活の糧、煉瓦には生活の基盤・・・さらに意味を広げることも可能であり、自由である。
  それらを黒枠で囲い、黒色でクロスし、分割している。

 黒色は、「無/闇」であり、犯罪における「黒」、不正や非合法における「黒/ブラック」の用法もある。生産的な意味は薄いかもしれず、非生産、否定的な意味が強い。
 その黒色で覆われた四種のイメージは、即イメージされた事象の否定ということなのだろうか。
 イメージされる肯定、それを遮るかの黒く太いクロスの線。


 鑑賞者は本能的に意味を見出そうとする眼差しで対象を見つめる。しかし意味は拡散され対象への焦点を定めることが出来ない。
 『The Literal Meaning』(本来の意味)、文字通りの意味だとマグリットは説明している。
 そのまま・・・鑑賞者は従順に各四種の意味を想起し、同時に黒色の交差を、分割と否定の複合的な離反と考える。
 作品の前での『躊躇と迷い』、それこそが人間の原初的な眼差しであり、本来の意味なのかもしれない。

 言葉(記号/色・形・空間)とイメージの合致、或いは差異の渾沌、眼差しの原初的体験がこの作品の作意だと思う。マグリットの仕掛けた踏絵である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『銀河鉄道の夜』144。

2015-11-19 05:49:27 | 宮沢賢治

その島の平らないただきに、立派な眼もさめるやうな、白い十字架がたって、それはもう凍った北極の雲で鋳るたといったらいゝか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しづかに永久に立ってゐるのでした。


☆等しく平(平等)の律(きまり)を把(手につかむ)を願うことを吐く。
  自由な弐(弐つ)の果(結末)を踏(ふまえる)。
  僕(わたくし)は極(きわめ)運(めぐらせ)注(書き記している)。
  襟(心の中)に掩(覆い隠した)考えを衛(まもり)求める律(きまり)である。


『城』2149。

2015-11-19 05:39:47 | カフカ覚書

ところで、これは、たいへんなことなのですよ。高級従僕でさえも、そこまではさせてもらえないでしょう。ほとんど身にあまる重責と言ってよいくりです。ところが、それが心配の種なのです。


☆ところで、これはたいへんなことなのですよ。ただ、それにもかかわらず預言者の死なのです。高級な晩餐でさえ、そこまではできないでしょう。多くの断食がありますが、それが不安なのです。