困難な航海
荒れる波間を行く何艘かの船体、漆黒の闇、落雷の猛威に船は難破しかけている。
それを見る擬人化(眼差しのある)されたビルボケも若干傾いているが、均衡を取るべき機能はあるのだろうか。室内と見える空間は地上の空間なのか、やはり海上なのかは不明である。
しかし室内には荒れ狂う海の被害は見受けられず、四角に空けられた箇所を幾つ(3か所)も認められる板が3枚任意に立て掛けられている。
上部のポールに掛けられたカーテンらしき大きな布の裾は1枚の板に被さる態である。
1本は人の足の形をしたテーブルの上には義手に押さえつけられた赤いハトがいる。はとの生死は不明だが、『大家族』(生めよ増やせよ…)を象徴するものを否定している。
つまりは、ここ冥界に生き物(死者)を増やすことを禁じている。
漆黒の海上と見つめる眼のあるポールのいる室内との距離が問題であるが、室内に暴風雨の気配はなく静かであることから異世界ほどの距離があると思われる。
目のついたポールが現世であるはずがないとすれば、荒海の船体は現世である。
冥界に身体を溶解しつつある人物は、現世(苦界)を見つめている。見つめるしか術のない哀しみ。
板に空けられた窓状の穴は、全て現世を覗き見るためのものかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
苹果の樹がむやみにふえた
おまけにのびた
おれなどは石灰紀の鱗木のしたの
ただいつぴきの蟻でしかない
犬も紳士もよくはしつたもんだ
東のそらは苹果林のあしなみに
いつぱい琥珀をはしつてゐる
そこからかすかな苦扁桃の匂がくる
すつかり荒さんだひるまになつた
☆閉ざされた果(結末)の寿(命)を惜しむ
皆(すべて)の鬼(死者)の倫(人の道)が目(ねらい)である
我(わたくし)が兼ねる真(まこと)の詞(言葉)は、等(平等)である
平(平等)を化(教え導くこと)は倫(人の道)であり、個(ひとりひとり)に迫る句(言葉)に変(移り変わる)
等(平等)は仁王の考えである
ところが、あの人は、たいていの場合それをことって、なにごとも自分の眼と耳で確かめようとするんです。でもそのためにはご自分の夜の時間をつぶさなくてはならないのです。あの人の執務プランのなかには、村へ来る時間なんか予定されていませんからね。
☆ところが、彼はたいていの場合、それを拒んで自分自身で見て選ぼうとするんです。しかし名が阿蘇の場合は、死を神に捧げなくて班らないのです。あの人の計画には村(死の入口付近)を小舟で周遊する時間の備えがあるのです。