平面(二次元)に描かれたものに、陰翳を付加することで立体(三次元)になり、空気が生じる。因って二つの疑似人物の間に距離を感じるようになり、二者の関係が明確になっていく。
手前の男の薄っぺらさが、後者のボリュームをさらに大きなものにしている。男の存在感の希薄さが、女の存在を過大に見せる効果を生んでいる。差別というより作者自身の心象である圧倒的な女の威力(生命力)の誇示である。
紙(平面状のもの)が人型を模ると人物になり、さらに立体的に膨らませれば重量を伴う肉感を想起させるようになり、紙と見えたものの素材さえ変移(木)していく視覚のマジックがそこにある。
しかし、あくまでも血の流れる生命とは遠い存在としての異世界(冥府)の表現、つまり現世の情景ではない空想の組み立てである。
ポール(死んだ木)から枝葉(生きようとする木)が出る、繁るという景には《無常》《不条理》《悲しみ》があふれ出ている。絶対に届かない女の情熱は、平板かつ冷静な男に等しい。
打ち沈んだ男はマグリット、手を伸ばそうと枝葉をひろげる女はマグリットの内なる母かもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
水が落ちてゐる
ありがたい有難い神はほめられよ 雨だ
悪い瓦斯はみんな溶けろ
(しつかりなさい しつかり
もう大丈夫です
☆推しはかる絡(つながり)の幽(死者の世界)は難(くるしみ)である。
信(正しいと思って疑わない)有(存在)は和(争いを治める)
我(わたくし)の詞(言葉)の要(かなめ)の題(テーマ)は常に二つある。
〈イェレミーアスにはおっとよく気をくばっていなくてはならないぞ〉と、Kはここのなかで考えた。もっとも、イェレミーアスのほうが城でいろいろとKをやっつける画策をしているアルトゥルよりもずっと危険がすくないらしいという気持ちは、変わらなかった。
☆イェレミーアスをもっと尊重しなくてはいけない、とKは言った。イェレミーアスにはありがちな死の危険はないが、アルトゥルは城(本当の死)に働きかけている。