いち髪、二姿、三器量・・・おしゃれの基本はまず髪形にあると、わたしより少し上の年代の人は言う。
お洒落に対するこだわりは、時代によって変化し、今ではその基準が分からないほど、何でもアリになっているけれど、こだわることは生きる糧かもしれない。
現実の法則から解放された世界である。
まず重力がない、そして眼差し(目)が自由に浮遊しており、しかも半分は床面に刺さっている。人間の体を失い、目という機能が一つの印(象徴)になっている。
長方形の平板は四角いが歪んでもいて、どこかに当てはまる要素を失っているし、大きな穴(長方形の空き)によって遮蔽の意味をもたない。角張って折れたものもあるが穴(空き)のかわりに眼がついているという具合である。見ているのか見られているのかも不明な眼差しは、どこへ向かっているのだろう。
カーテン(遮蔽)らしきものも、質を変換(布~板状)されている。
装飾(刻み)を施された擬人化をにおわすポールはいかにも頼りなげ(倒壊しそう)であるが、枝葉は途方もなく伸び、あるいは伸び続けているという風である。
これらはピンクという質感を想起し難い面の上に、不思議な並列状態で存在している。
主題は『博学な樹』である。何でも知っている樹・・・白く美しいポールは女体を暗示する形であり、繁る枝葉は《再生》へのエネルギー(情熱)を感じる。
異世界、冥府(死後の世界)における眼差し、あらゆることを熟知し、お見通しであるが、現世との連絡手段のない隔絶された世界にいて、ただ佇むだけである。
母なるものは、ガラクタの中で内なる愛(枝葉)を育てて現世(子供である自分)を見ているに違いないという、マグリットの思い(空想)ではないか。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
いい気味だ ひどくしよげてしまつた
ちゞまつてしまつたひどくちひさくなつてしまつた
ひからびてしまつた
四角な背嚢ばかりのこり
たゞ一かけの泥炭になつた
ざまを観ろじつに醜い泥炭なのだぞ
☆鬼(死者)の魅(もののけ)は、死を覚(悟る)。
敗(ダメになること)を納(受け入れ)逸(隠すこと)に泥(こだわる)譚(話)である。
終(死)に泥(こだわる)譚(話)である。
Kがそばを通りぬけようとしたとき、モームスは、そのときやっと例の測量師だということがわかったというようなふりをした。「やあ、測量師さんでしたか。まえに尋問をいやがった人が、こんどは尋問を受けに押しかけていらっしゃったのですね。
☆Kが通りぬけようとしたとき、モームスは最初に土地を失った人だということに気づいた。「いやで拒否したのに、尋問を急き立てるのですか。