裸体は当然無防備であり、目を閉じていては尚更である。
両手を挙げているのはどのような意思表示なのだろう。拒否、あるいは迎合、あるいは夢遊状態など考えられるが、きわめて優雅で自然体である。巨大なオサガメさえいなければ、茫漠とした海底(あるいは砂漠)に眠るファンタジーの世界そのものである。
オサガメの鋭利に見える外殻は何を表象しているのだろう。襲来だろうか、和合だろうか、単に共存なのだろうか。
二つの生物の関係性はどこに焦点をあてたらいいのだろう。
床面は厚い板状のものが層になって重なっている。板は死へ移行するときの常套手段であることを考えると、この状況空間は、既に現世を離れた冥界、あるいはその入り口(途中)であるように思われる。
もはや重力の束縛のない世界、海や砂漠でさえなく、あらゆる観念から解放された世界の融合、共存かもしれない。
通念を破る暴力、通念の否定、新しい衣服(精神)である。
(写真は新国立美術館『マグリット展/図録より)
おれはたしかに
その北極犬にまたがり
犬神のやうに東へ歩き出す
まばゆい緑のしばくさだ
☆僕(わたくし)は語句(言葉)を兼ねている。
兼ねている腎(大切なところ)は等(平等)であり、普く推しはかる録(書き記したもの)である。
永(とこしえ)の照(あまねく光が当たる=平等)を査(明らかにする)。
話をするにも声を殺し、ときどきしか言葉が聞きとれず、談笑をしているのではなさそうである。おそらく、だれかが口述をするか、朗読でもしているのであろう。
☆言葉をやわらげたが、ここでは先祖の話には意味がなく、面白くなかった。おそらく誰かの口述筆記などを読んでいるらしかった。