花と呼ばれるものを挟んだ両脇、左右の背景には差異がある。
一方はリアルな凹凸が明確に表れ奇妙な質感を提示しているが、他方は平面的であり、本来の形は輪郭のみで不明である。
強弱、嘘と真、険しさと平坦…一方は光が当たっているのに他方には光を感じられない。つまり真逆、対立、表裏なのである。
この環境に位置する『深淵の花』は、口をあけた球体(あるいは口を閉じた球体のようにも見える)の態をしている。これは唯一言葉(思惟)を持つ人間の奥底に潜む精神であり、歴史・思想・意思伝達(あるいは流布)・主張などを意味する複合的な精神の花である。
添えられた葉は、あたかもそれらしいが自然の理を成しておらず、花と呼ばれる球体(馬の鈴)とともに解体を余儀なくされて然るべきものの態である。
葉は添えられているのでなく、球体(精神)を護る強さを秘めたものにも思える。
全く相反する条件を不思議に取り合わせた光景、これこそが『深淵の花』の正体であり、精神の本体(闇)は掴みどころなく浮遊するものかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
羽むしの死骸
いちゐのかれ葉
真珠の泡に
ちぎれたこけの花軸など
(ナチラナトラのひいさまは
いまみづ底のみかげのうへに
黄いろなかげとおふたりで
(せつかくをどつてゐられます
いゝえ、 けれども すぐでせう
まもなく浮いておいででせう
☆和(争いを治める)詞(言葉)の我意がある。
陽(日の光)は、芯(中心)の趣(考え)である。
法(神仏の教え)を課(割り当てた)字句の体(ありさま)の講(話)を付けている。
そばを通りすぎたとき、従僕は、この紳士のことをゲルステッカーに、「ピンツガウアーだ!」と言うと、従僕も、「うん、ずいぶん久しぶりだ」と相槌を打った・
☆彼が去った後、この大群のことをゲルステッカーに「ピンツガウアーだ」と言うと、「長いこと来ていない」と、死人も認めた。