続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『深淵の花』③

2018-04-13 06:51:48 | 美術ノート

 花と呼ばれるものを挟んだ両脇、左右の背景には差異がある。
 一方はリアルな凹凸が明確に表れ奇妙な質感を提示しているが、他方は平面的であり、本来の形は輪郭のみで不明である。
 強弱、嘘と真、険しさと平坦…一方は光が当たっているのに他方には光を感じられない。つまり真逆、対立、表裏なのである。

 この環境に位置する『深淵の花』は、口をあけた球体(あるいは口を閉じた球体のようにも見える)の態をしている。これは唯一言葉(思惟)を持つ人間の奥底に潜む精神であり、歴史・思想・意思伝達(あるいは流布)・主張などを意味する複合的な精神の花である。

 添えられた葉は、あたかもそれらしいが自然の理を成しておらず、花と呼ばれる球体(馬の鈴)とともに解体を余儀なくされて然るべきものの態である。
 葉は添えられているのでなく、球体(精神)を護る強さを秘めたものにも思える。

 全く相反する条件を不思議に取り合わせた光景、これこそが『深淵の花』の正体であり、精神の本体(闇)は掴みどころなく浮遊するものかもしれない。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


『蠕虫舞手』③

2018-04-13 06:40:27 | 宮沢賢治

  羽むしの死骸
  いちゐのかれ葉
  真珠の泡に
  ちぎれたこけの花軸など
   (ナチラナトラのひいさまは
    いまみづ底のみかげのうへに
    黄いろなかげとおふたりで
   (せつかくをどつてゐられます
    いゝえ、 けれども すぐでせう
    まもなく浮いておいででせう


☆和(争いを治める)詞(言葉)の我意がある。
 陽(日の光)は、芯(中心)の趣(考え)である。
 法(神仏の教え)を課(割り当てた)字句の体(ありさま)の講(話)を付けている。


『城』2923。

2018-04-13 06:31:28 | カフカ覚書

そばを通りすぎたとき、従僕は、この紳士のことをゲルステッカーに、「ピンツガウアーだ!」と言うと、従僕も、「うん、ずいぶん久しぶりだ」と相槌を打った・


☆彼が去った後、この大群のことをゲルステッカーに「ピンツガウアーだ」と言うと、「長いこと来ていない」と、死人も認めた。