林と思想
そら ね ごらん
むかふに霧のぬれてゐる
蕈のかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
こゝいらはふきの花でいつぱいだ
☆倫(同類)の詞(ことば)は総て謀(はかりごと)である。
腎(大切なところ)は倫(すじみち)を留める考えであり、要(かなめ)は個(一つ一つ)の化(形、性質を変えて別のものになる)である。
『新聞を読む男』
男の視線は新聞にある。つまり世の中のこと、社会・経済に関心を注いでいるという光景である。
四分割された画面は同じ空間(部屋)の景である。しかし男が登場しているのは四分の一、上方の一画面のみであり、不在である四分の三の空疎の領域に寂寥感が漂う。
男がいる光景と男がいない光景は後者の印象が重く、男の不在が胸を衝く。存在すべき人の不在が色濃く反映されている。
椅子は二つある。
男の前にいるべき人が四画面とも不在であるのは、(母の死)を暗示しているのではないか。漠然と微かにではあるが、座ることのない椅子には不在の人の陰が漂う。
壁に掛けてあるものは何だろう…(リボンのついた帽子と羽根飾り?のような)確定できないが、女性を感じるものである。
その脇のフレームには何の絵(写真)が入っているのか。よく見えないが、おそらく家族写真のようなものではないかと思う。
とすれば男は父である可能性がある。
母亡きのちの不在がちな父の印象、結ばれるべき家族の絆の希薄。
整理整頓、清潔、豊かな市民生活…欠けたところのない部屋。しかし流れる空漠、寂寥感。皮肉を交えた心象の部屋である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
みじかい素朴な電話ばしらが
右にまがり左へ傾きひどく乱れて
まがりかどには一本の青木
(白樺だらう 楊ではない)
☆蘇(よみがえること)僕(わたくし)は伝えている。
話は幽(死者の世界)の詐(作り事を言い)継(つないでいる)。
覧(よく見ると)逸(隠れた)翻(形を変えてうつす/作り変える)がある。
照(あまねく光が当たる=平等)を黙って吐く。
化(形、性質をけて別のものになる)が要(かなめ)である。
これに反して、きみと助手どもはどうなんだ!きみは、やつらに追いかけられていることを否定しなかったし、やつらに気持ちが惹かれると白状したこともある。
☆これに反して、きみと助手どもはどうなんだ。きみは迫害を否定しなかったし、彼らから脱したとも告白した。