近年は夏になると(ゴーヤ/ニガウリ)を植えている。何十個も採れるゴーヤは嬉しいけど・・・。
名前に惹かれる(パッションフルーツ)…ちょっと植えてみようかな・・・。
小さな鉢にちょこっと…そして昨日の朝、花が咲きました。(ちなみにゴーヤの方はすでに5個も実を付けています)
トケイソウ科だったんですね。
canon/ corps de femme/ arbre それぞれの言葉は繋がらないように思えるし、そう意図している風でもない(単にそこに置かれた任意の言葉)。
『ことばの用法』は用法を否定し、ことばの用法には用法不可の領域があることを提示しているのだと結論付けられる。
しかし、作品『本来の意味』を見ていくと、不思議な流れ/空気感が浮上してくるのである。鍵は《Corps de femme》~(女性の死体)を疑うことで、謎が氷解してくる。
川へ投身自殺したという母への追悼。
《canan》法令、戒律…自ら命を断ってはいけない、という大前提のもとの(母の死体)は無念を究めたに違いない。
そして《arbre》の木は、棺を暗示していると思う。遺体の収められた棺=母という想念は他の作品にも及んでいる。
『ことばの用法』、言葉は何か(目的/対象)を表明するためのツールである。しかし、それは、何かを霧消させることもあり、用法自体の不在(壊滅)を意味する場合もある。
そして、ごく個人的に暗号めく使用される(ことばの用法)の潜在があることをも、知らされるのである。
否定の後の肯定はマグリットだけに通用する、例外としての『ことばの用法』である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
あんまり長い尾をひいてうららかに過ぎれば
もう一匹が飛びおりる
山鳥ではない
(山鳥ですか? 山で? 夏に?)
あるくのははやい 流れてゐる
☆調べると、備(あらかじめ用意した)化(形、性質を変えて別のものになる)が逸(隠れている)。
匹(一対を為すこと)を秘(隠している)。
算(見当をつけ)調べる。
惨(いたましく思う)懲(過ちを繰り返さないようにこらしめるように)太陽の化(教え導くこと)を留めている。
おまけに、ソーセージの皮まで皿のうえに忘れてあったし、ぶどう酒も四分の三ほどからになっていた。しかし、Kは、なにも文句を言わないで、がつがつと食いはじめた。
☆それどころか、それがわからないように荒地は忘れられていたし、間抜けな三つの代理人は空疎だった。しかし、Kは何も言わず確かなきちんとしたエッセイを作りはじめていた。