『屈折率』
七つ森のこつちのひとつが
水の中よりもつと明るく
そしてたいへん巨きいのに
わたくしはでこぼこ凍つたみちをふみ
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(まtアラツデイン 洋燈とり)
急がなければならないのか
☆窟(洞穴・岩や)の説(話)の律(決まり)、
死地の真(まこと)を推しはかる。
宙(地面から離れた空間)にある冥(死後の世界)は、虚である。
悼(死を悲しむ)を接(つなぐ)講(話)であり、粛(謹んで)吾(わたくし)は、(それを)掩(隠して)運(めぐらせている)。
隠れた記は幽(死者の世界)を弁(語る)。
客(訪ねてくる人→これを読む人))は普く要である等(平等)を究める。
※屈折率とは《現世と来世の》それである。
『夏』
同じ窓が縦横に並ぶ建物の壁面、ポールに掲げられた旗は空(青空に散在する雲)が描かれている。それっきり・・・。
夏といえば開放的なイメージがあるのに、カーテンで閉ざされ閉まったままの窓というのは奇妙である。建物には当然内部に人がいるはずなのに、多くの人が並べて窓を閉じている。
灼熱の季節である『夏』に閉ざされた窓は納得がいかない。ここにある理由は何だろう。
抑圧された忍従だろうか。
それとも人は不在なのだろうか。石造りの頑強に見える建物の画一化された窓の距離間(上下とも)が非常に短い。各人がぎゅうぎゅう詰めになっている印象がある。それに日射しが届かないのか窓の中は暗く、見える物がない。
風景の中の建物ではなく、建物の中の建物という感じである。どこまでも判で押したように同じであり、並べて暗く陰鬱と沈黙が座している。
ポールに掲げられた旗には同年に描かれた『呪い』と同じ作画があるが、その一辺は直線ではなく切り取られたあとのような感がある。(平和な日常を返して)とも取れるが、《自由》の象徴とも思える。
『夏』、ここに本来の夏のイメージはなく、夏を喚起させるものはない。にもかかわらず、『夏』であるのは不条理である。
あえて『夏』と題した理由は、凍りついた世情への告発、反発、皮肉ではないか。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
これらはあるいは天の鼓手 緊那羅のこどもら
(五本の透明なさくらの木は
青々とかげろふをあげる)
☆展(広がる)己(わたくし)の趣(考え)は、襟(心の中)に納めた裸(包み隠さないこと)の語(言葉)にあり、翻(形を変えてうつすと)答えがある。
冥(死後の世界)に、黙って照(あまねく光が当たる=平等)を唱えている。
それに、あなたは、あの夜このアルトゥルをなぐって、ほとんど半殺しになさいました。あの一撃は、わたしたちの幸福をもこわしてしまったのです。
☆それに、あなたは、あの小舟を握り拳で打撃を与えました。それは、わたし達の幸福をも破壊したのです。