何といふいい精神だらう
たとへそれが羊羹いろでぼろぼろで
あるいはすこし暑くもあらうが
あんなまじめな直立や
風景のなかの敬虔な人間を
わたくしはいままで見たことがない
☆化(教え導く事)を誓い、審(正しいかどうかを明らかにする)。
要は換(入れ替えること)で諸(もろもろ)の自記を留めている。
普く稽(引き比べ考え)継(つなぐ)。
兼ねたものを訊(問いただし)顕(明らかにすると)現れる。
『呪い』
『呪い』=青空に散在する雲の景・・・。
呪いは元来何も形を成さない。確かに《有る》が《無い》ものでもある。
ある対象にたいする人の心に宿る悪意、精神的に強く願うことで相手に不運をもたらす願望である。物理的な手段を伴わずに相手への攻撃をひたすら願うという悪意ある精神状態が、望み通りの結果を得るとは信じがたい。しかし、偶然全くの成り行きで、それが叶うという状況が神がかり的に生じる確率がないとは言えない。
掴みどころなく、どんな雲行きになるかは風任せ(空に浮遊する雲の散在)。人の心とは無関係の雲の流れ、断絶である。
呪いは物理的には不可視であるが、雲は見えても、精神性は皆無である。
呪いとは心の中に渦巻く狂気(悪意)であるが、雲の散在は予想をつけ難いという点で類似している。
雲の成り立ちには原因があり、呪いにも原因がある。ただ『呪い』という精神的な現象は御しがたい。
御しがたいという点で雲と呪いは合致する。『呪い』はすでに人心を離れた現象であれば、空の雲を眺めることに近似するのかもしれない。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
こんなきっまなたましひと
たれがいつしよに行けようか
大ぴらにまつすぐに進んで
それでいけないといふのなら
田舎ふうのダブルカラなど引き裂いてしまへ
それからさきがあんまり青黒くなつてきたら……
そんなさきまでかんがへないでいい
☆講(話)は題(テーマ)芯(中心)に伝える。
赦(罪や過ちを許す)に因る烈(強い)傷(悲しみ)を告げる。
しかし、これらのことも、イェレミーアスが勤めに引きとめられているあいだh、ちっとも決定的なことではなかったのです。だって、わたしだって、あなたの未来の妻として自分の義務ぐらいは心得ていましたもの。
☆しかし、これらのこともイェレミーアスがもっているあいだは少しも決定的なことではありませんでした。
来るべき自由もまた、わたしの責務だったのです。