橡の花きつと最後の夕日さす
橡、トチやクヌギなどを指す。
きつと・・・「きつと」には現時点ではない時間があり、「確実に」ということである。きつとの時間は図れないが、いつか必ず最後には・・・。
最後の夕日・・・終末(死)には必ず夕日(落日の太陽)が迎えてくれる。なぜなら、橡の花はドングリになり、そのドングリは並べて同じ(平等)だからである。
橡の花きつと最後の夕日さす
橡、トチやクヌギなどを指す。
きつと・・・「きつと」には現時点ではない時間があり、「確実に」ということである。きつとの時間は図れないが、いつか必ず最後には・・・。
最後の夕日・・・終末(死)には必ず夕日(落日の太陽)が迎えてくれる。なぜなら、橡の花はドングリになり、そのドングリは並べて同じ(平等)だからである。
うすうすと稲の花さく黄泉の道
なんとなく分かっているけど、はっきりと確認したわけではない。稲の花って受粉までほんのわずかな時間しか咲いてないという。
もしかしたら、黄泉の道も三途の川があったりするような道のりではなく、うすうすと・・・ちょっと気づかないくらいの間に逝かれるのかもしれない。
旅客機閉す秋風のアラブ服が最後
旅客機、恐らくいろいろな人、各国の顔ぶれがあるに違いない。
秋風に「しゅうふう」とルビを振ったらしい。多分、宗風(各宗派の風習)を暗示したものと思われる。その風習であるアラブ服の白が最後だったというのである。
白・・・太陽光線を全部反射した時の色である。汚れなく明らかであり、ありのままであり、罪なき人の色である。
太陽光のすべての波長の光を一様に反射することによって感ぜられる色である白。
各国の乗客、各宗派が一つの空間(旅客機)に乗り合わせている。ドアが閉められ機上の人となる彼らは最後の乗客であるアラブ服の白によって和合の旅人になるに違いない、という感想。
開口から見る景色は真っ暗であり、雷光だけがその景色を照らしている。究極の恐怖、絶命の危機さえある現世の光景である。船は辛うじて難破を免れているのだろうか。
ビルボケ(母の化身)に表情は無いが、直立ではなく少し傾いている、これ以上の傾きなら倒れてしまう傾度である。
動揺と心配、乱れる心…冥府の母はどうすることもできずに、ひたすら現世に残した家族を質的変換した姿で凝視している。この場所は、海上だろうか、ここもまた確固たる安定は保証されていない揺らぎが見える精神の景である。
頭上にある暗幕のようなものは板戸もろとも彼女の上に落ち、彼女の眼差しを被うかもしれない。
今、この刹那があるのみで、時間は止まっている。物語に展開はないが、止まらない精神の揺れが、この画に信憑性を与えている。
母への想い。《きっと、必ずや、母はわたし達を見ていてくれる》この確信である。
写真は『マグリット展』図録より
『お魚はなぜあゝ行つたり来たりするの。」
弟の蟹はまぶしさうに眼を動かしながらたづねました。
『何か悪いことをしているんだよとつてるんだよ。』
『とつてるの。』
『うん。』
☆語(言葉)の講(話)は、頼るべき諦(真理)の解(さとり)を含んでいる。
同(平等)という化(教え導くこと)が、和(争いを治める)。
ドアの外を忍び歩く足音は、いつまでも聞こえています。いっそのこと部屋のなかへはいってきてくれたほうが、ほっとすることでしょうに。しかし、なにも起こらないのです。それでも、なにもここに危険がせまっているわけじゃないと、おたがいに確かめ合わなくては、安心できないのです。
☆偽善者の企みは絶えず聞こえてきます。すべては成功し事件もなく誰も介入する人はいません。