雪光の肝一つぶを吊す谷
雪光。まっ白、そして冷たく透明な空間。
吊るしてあった肝(内臓)をみて驚愕した。
これが生命あるものの終末なのか。目に怖ろしいが、貴重な食糧である。
拙稿、自分の創った句の謙称。
その精神(肝)が、わたくしから離れ、谷の中空に吊るされている。他人の眼差しの冷徹、酷い緊張感がある。
一月の畳ひかりて鯉衰ふ
一月の陽は低いから、部屋の中まで入って、畳を照らす。
畳、すなわち和室であり、襖はつきものである。
襖に描かれた鯉(昇り鯉)が、畳がひかることで(衰ふ)、影を薄くしてしまったというのである。
存在、空気感、ゲシュタルトの心理学に見る一方を強くとらえれば他方は消えてしまうという論理である。ちなみに、(ひかる)であって(光る)ではない畳への照射である。
これ着ると梟が啼くめくら縞
お茶目な句である。
めくら縞、濃紺あるいは濃いグレーにみえる織地。
漆黒ではない。《まるで月夜のようだ》と思ったに違いない。
夜行性の梟が、月に向かって啼く光景を愉しみ想起したのではないか。
『ハゲタカの公園』
奇妙な空間である。木箱への視点が定まらない。一見納得できる風ではあるが明らかに遠近法的には違和感がある。
黒い山並みは草木の生えない相当に標高の高い場所なのだろうか、しかし雪もない。架空の山並みは《死の世界》を思わせる。
にもかかわらず箱状の囲みの中には樹木が生えている、板面から樹木がという奇異。しかも上部は箱という狭い空間に閉じ込められ押さえつけられている。
ここは遠近法をはじめ、あらゆる物理的条件を外し、不条理で成立する景である。
こんな山奥にパイプや柵、更にはどの地点から伸びているのか不明な円柱がこの絵の空間を突き抜けている。意味はあるのだろうか、因果関係の不明な人為的な操作は、この景に不気味さを与えている。
左にある亀裂の入った円柱だけが少し傾いているが、他は直立である。垂直に立つという工作には人為的なエネルギーが不可欠であるが、この景をどのように解釈したらいいのだろう、少なくとも現世の物理には該当しない景である。
連峰の向こうの空の彩色の異様さ、地面の赤さび色、大量の《血》を暗示しているようでもある。箱の中の樹木は死者の魂だろうか、背後の柵は移動しないための抑止かもしれない。
哀しいまでに暗澹とした景には、攻撃される敵の要素は皆無である。少なくとも地獄のような責めはない。
『ハゲタカの公園』というタイトルは恐怖をそそるが、彷徨いでた新しい霊を護って欲しいという《願い》と《祈り》を描いたものだと思う。
写真は『マグリット展』図録より
そのお魚がまた上流から戻って来ました。今度はゆつくり落ちついて、ひれも尾も動かさずたゞ水にだけながされながらお口を環のやうに円くしてやつて来ました。その影は黒くしづかに底の光の網をすべりました。
☆語(言葉)の(あまねく光が当たる=平等)は縷(細く長く続く)。
霊(死者の魂)は雷(神なり)。
魂の拓(未開を切り拓く)絡(筋道)は備(あらかじめ用意してある)。
同(平等)を推しはかり、縷(細く長く続く)講(話)である。
換(入れ替えること)を掩(隠している)。
雷(神なり)は永(とこしえ)だと告げる。
諦(真理)の考えは亡(死んだ人)に照(あまねく光が当たる=平等)である。
もしかしたら、だれかがドアのまえを行ったり来たりしながら、なにか注文をしたものかどうかと思案し、それでもまだ注文をする決心ができないでいるのかもしれません。おそらくそれだけのことかもしれません。しかし、あるいはまったくべつのことかもしれないのです。
☆絶対に危険にさらすべきではないと言うべきである。多分、ただ誰かが企みの前で、先祖の伝言を熟慮しなければならなかったのに、決心できないでいたのです。