かの后鏡攻めにてみまかれり
后は、のち、きさき、きみ。
鏡は、人の手本、模範。
かのきみ(后)は、人の手本、模範になること、数多撮られた自分の姿により周りから攻められ、そして、とうとうパパラッチに追われ帰らぬ人になってしまった。哀しく残念なことである。(ダイアナ妃・追悼)
かの→彼の。
后はコウと読んで、考。
鏡はキョウと読んで、恐。
攻めはコウと読んで、黄。
みまかれりは(薨)はコウと読んで、口。
☆彼の考えは恐ろしく黄口(未熟)である。
襖しめて空蝉を吹きくらすかな
襖も閉め、誰もいない部屋で空蝉を吹き、遊んでいるような暮らしである。
空蝉はク・センと読んで、句、選。
吹きはスイと読んで、推。
襖も閉め、誰もいない部屋で、句(言葉)を選んでは推しはかる日常である。
天の川禽獣の夢ちらかりて
天の川には、白鳥座・蠍座・わし座などの禽獣が、人の夢想を散らしたかのように存在している。
天の川、テン・センと読んで、転、閃。
禽獣、キン・ジュウと読んで、襟、重。
夢はムと読んで、謀。
ぐるぐる回り、閃(ひらめく)襟(心の中)では、重なる謀(図りごと/プラン)が、いろいろ散らかるほどに乱れている。
山かぞへ川かぞへ来し桐の花
幾山河超えざりゆかば・・・。
山を数え、川を数えて辿り着く。想像を絶する、普通でない距離である。
それほどの遠くにある桐の花? ここは俯瞰、空からの情景。桐の花が夏の初め北上する景である。
桐をドウと読んで、同。
花はカと読んで、和。
桐はトウと読んで、等。
☆ずっと遠くかも知れない、必ずや何時の日かやって来るであろう和(平等で争いを治めた穏やかな日々)そして、等(平等)への夢想。
天網は冬の菫の匂いかな
天を薄く覆う霞のような膜は冬、咲き初めたばかりの菫の清楚な香りがする。
天網は、目が粗いようだが悪事を働く者は決して逃さない、悪人には必ず天罰が下るということ。
冬はトウと読んで、套。
菫はキンと読んで、襟。
匂はニオウと読んで、仁王(仏法の守護神)。
天網は、套った心の中の守護神である。
色鳥やだるき柱を授かりて
色美しい鳥、社寺仏閣の見事、すべて授かりものである。
色はシキと読んで、死期。
鳥はチョウと読んで、弔。
だるき(垂木)はスイ・ボクと読んで、推、撲。
柱はチュウと読んで、誅。
死ぬときの弔いを推しはかると、撲(たたく、うつ)の誅(罪を責め咎める罰)が天から授けられるに違ない。
さるすべりしろばなちらす夢違ひ
百日紅、でもここの百日紅は白い花を散らした・・・。
さるすべりは猿滑、エンカツと読んで円滑。
しろばなは白花、ハッカと読んで発火。
散らすは、集中力が無くなること。
障害もなくすらすら発展した恋の火、恋の炎が燃え上がった。心は取り留めもなく浮いている。・・・善夢である。
『無題』
ビルボケは女性らしい、そして豊かな安定した趣を感じさせる。向かい合う平たい紙状のシルエットは山高帽とコートを着け、それに靴を履いている。
亡母とその息子の対峙ではないか。何も言わない二人・・・しかし擬人化された形には音符(音楽)がつづられている。通い合う心のリズムがある。
亡母らしきビルボケには枝が延び葉の茂りが見える。
《生命》の宿り。
百年、否、それ以上の寿命を持つ樹木に化身させた母への強い想い。亡母は息子マグリットの中では、決して死ぬことのない不死の権化である。
「お母さん、会いに来ましたよ」言葉のない世界。しかし、通じる音波(音楽)があるに違いない。
「ここへは来てはいけません」禁断の逢瀬・・・デュシャンの夢想である。
写真は『マグリット展』図録より
兄さんの蟹ははつきりとその青いもののさきがコンパスのやうに黒く尖つてゐるのも見ました。
☆啓(導くこと)を解(悟る)照(あまねく光が当たる=平等)を告げる。
宣(広く知らせること)が顕(現れる)。
こんな生活が、またわたしたちを待っているのです。今晩じゅうにまた元の古巣の女中部屋へ引っ越すことになっているのです。どうしてこういうことになってしまったのでしょうか。あなたとフリーダのせいですわ。
☆こんな伝記がまだわたしたちを待っているのです。現今、作り事のテーマとの関係が再燃しています。どうしてでしょう、Kとフリーダのせいです。