続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『オツベルと象』㊱

2019-01-23 06:06:03 | 宮沢賢治

「靴に飾りをつけなくちや。」オツベルはもう大急ぎで、四百キロある分銅を靴の上から、穿め込んだ。


☆化(形、性質を変えて別のものになる)の嘱(たのむ)他意である。
 究める詞(ことば)は飛躍した道(神仏の教え)であり、化(教え導くこと)の照(あまねく光が当たる=平等)を詮(明らかにする)個(一つ一つ)である。


『城』3112。

2019-01-23 05:54:58 | カフカ覚書

「どうぞ、秘書官さん、お眠りになってください」Kは、耳よりな話だとよろこんだ。「そうすれな、ごめんこうむって、わたしもすこし眠らせたいただきますよ」
「とんでもありません」と、ビュルゲルはまた笑った。


☆「大勢の内密の方、お眠りになってください」とKは言い、これらの知らせをよろこんだ。「ならば、すこし眠ってもいいですか」
「いやいや」とビュルゲルは再び笑った。


🈞マグリット『微笑』②

2019-01-22 07:07:25 | 美術ノート

 石に刻まれたANN O274・1957・30861・・・この物は何だろう。
 背景は時代を特定しないベタであるが、過去とは考え難く、未来(久遠、無窮)である。
 この遺物と見られるものは、奇跡的に発見されたのかもしれない。

 わたし達は数字や文字を観念的に教え込まれているので、数字の並びや幾つかの条件でそれが何を暗示しているのかを想定してしまう癖(慣習)がある。非常に便利な数字や文字であるが何かの事情(例えば地球の生物が全滅するような気候の変異)によって、脆くも消滅してしまわないとは限らない。現在信じているものが永遠である保証はどこにもない。

 この作品の時空が、永遠普遍文字や数字が通用する世界か否かも分からず、この遺物を目の前にして意味を見いだせない場合、この断絶に『微笑』するしかないのではないか。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㉟

2019-01-22 06:29:27 | 宮沢賢治

「鎖もなくちやだめだらう。」オツベルときたら、百キロもある鎖をさ、その前肢にくつつけた。
「うん、なかなか鎖はいいね。」三あし歩いて象がいふ。
「靴をはいたらどうだらう。」
「ぼくは靴などはかないよ。」
「まあはいてみろ、いいもんだ。」オツベルは顔をしかめながら、赤い張子の大きな靴を、象のうしろのかかとにはめた。
「なかなかいいね。」象も云ふ。


☆詐(作り事)の飛躍を査(明らかにする)。
 全(すべて)の詞(言葉)を査(sらべ)散(ばらばらにして)補(つくろう)。
 章(文章)は化(形、性質を変えて別のものにし)化(教え導き)信仰の釈(意味を解き明かす)。
 調べる詞(言葉)の他意は化(教え導くこと)であり、照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)。


『城』3111。

2019-01-22 06:22:43 | カフカ覚書

どうも自分ながら妙何ですが、たぶん陳情者たちの話を聞いてやることに慣れっこになりすぎたせいでしょうか、話し相手がいてくれるときがいちばん眠りやすいんでしてな」


☆まあ、わたしもそうなんですが、たぶん関係者の往来に大変なじんでいるのです。ですからここでは容易に死ねるんです。


🈞マグリット『微笑』

2019-01-21 06:55:00 | 美術ノート

   『微笑』

 ANNOの意味は不明である。noは《無》を表すものなのか、numberの略なのか…。
 274,1957、30861という数字、1957は西暦を連想させるので、274は過去であり30861は遠い未来と想定しがちであるし、そういう流れを意図している。

 有機物質は無機物質に比べ循環が早いが、無機物質にも変化はあり、年代を特定することができる。ただ非常に長い年月、K(カリウム)に変化があり、100万年という単位での測定である。

 であるから、この石に刻まれたものが過去だとすると、とてつもない未来からの展望であり、もう微笑するしかないほどの隔絶である。

 地球を空から見れば国境がないのと同じように、遠い未来から見れば、長い年月と思われるわたし達の歴史も笑止、『微笑』するしかないに違いない。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㉞

2019-01-21 06:43:27 | 宮沢賢治

「まあ持つて見ろ、いゝもんだ。」斯う言ひながらオツベルは、ブリキでこさへた大きな時計を、象の首からぶらさげた。
「なかなかいゝね。」象も云ふ。


☆二つを兼ねている詞(言葉)が現れる他意がある。
 字で啓(人の目を開いて理解させる)章(文章)は、主に照(あまねく光が当たる=平等)を運(めぐらせている)。


『城』3110。

2019-01-21 06:37:24 | カフカ覚書

が、まあ、ご心配なさらないでください。きっと眠りはしませんよ。うまい具合に眠れても、ほんの数分間にすぎませんから。


☆しかしながら、小舟の恐怖です。わたしは先祖のように死んだりしません。ほんの少しのコイン(硬貨)で有利な場合があります。


転んではいけない!

2019-01-18 07:37:05 | 日常

 サークルのメンバーの転倒…複雑骨折、二度の手術。すでにもう二カ月にわたる入院。
「退院はいつ?」
「退院しなければならないけど、リハビリの施設に行くの。そこも二ヵ月しかいられないらしいけど・・・」
「何言っているの、這ってでも自分の家に帰りなさいよ」

 回復途上である由、でも「怖くてふらふらするのよ」という。

 転倒が引き金で、当たり前の日常から離れてしまう。健脚だった人の今。

 他愛もない話でやり過ごしたけれど、病院を後にしたときには無常感でいっぱい。
《絶対に転んではいけない!》
 膝関節痛を病むわたし、油断は禁物と言い聞かせた昨夕のお見舞い・・・。


🈞マグリット『説明』④

2019-01-18 07:11:53 | 美術ノート

 ガラス瓶と萎れかけた人参、人参とガラス瓶の合体が板状のものの上に置かれている。影を見ると背景の景色とは隔絶された場であることが分かる。
 山々(自然)を背景にしているが、異世界(想像)である。

 空論であり、仮定であるこの景色は、存在の論拠を説明しようとしている。
《存在とは何か》
 地球に於ける生命活動であり、連鎖あるいは循環ではないか・・・と。

 物質としての存在(無機・有機の複合体)であり、世界と呼ぶ認識こそが人間の証明であるという説明である。
 光エネルギーが無機物から有機物を形成し、熱エネルギーに変換された後、発散され無空に消えていく。

 ガラス(無機質)と人参(有機質)の混合・構成が世界を作り上げており、それを認識する術(叡智)を持つものが人間であるという説明である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)