Espanaという文字で重ねられた二つの時空、がある。
遠方には平原に立つ建物(街)となだらかに続く山々、そして前方には闘牛の牛が頭部を刺され恨めしくこちらを見ている図がある。
殺される牛は言葉を持たない、ただ無言で死んでいくだけである。怨念はあるだろうか、瀕死の原因は横柄な人間の側にある。訴えることも抗議も生じない人間界との関わり。一方的な制圧には会話は不要である。
人間の手によって殺される運命、驚愕すべき恐怖を牛は直前まで知らされず、その瞬間を迎える。間をつなぐ『会話術』は無論欠落している。
しかし、逆に人間がどんなに牛に愛情を持ちこの非情なさまを悔い、懺悔、後悔した所で、死んでいく牛には伝わらない。瀕死の牛に毛布を掛ける憐憫を牛が感謝するだろうか。
『会話術』は世界全体を席巻するわけではない。弱肉強食、生態系の食物連鎖、この自然倫理のまえに『会話術』は為すべき術を持たない。
写真は『マグリット』展・図録より