仏光寺通りを西へ進み、西洞院通りの手前に管大臣神社があると
書いてあった。
月曜日に雨の中を朝の散歩がてらぶらぶら。
烏丸通りを西にはいると与謝蕪村宅跡の石碑があった。
江戸俳諧の巨匠の一人。
・春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉
・涼しさや鐘をはなるゝかねの声
小さい頃、国語の授業で聞いたことがある。
もう少し西に行くと「菅家邸址」の石碑があった。
平安時代、文章家として朝廷に仕えた菅家(菅原氏)の邸宅跡。
北の方向に鳥居が見えたので、ここだと思い進むことにした。
ありゃまー。
小さな神社だったのね。
鳥居の額を見ると「紅梅殿」と書いてある。
左側の小道の向こうに広場が見える。本殿があるはずなので行ってみる
ことに。
公園しかなかった。しょぼん。
で、月曜日はバイトに間に合わなくなったので散策は中断。
家に帰って地図を見ると、管大臣神社は仏光寺通りの南側に印があった。
昨日は道をはさんで反対側に行ってしまったみたい。
南側にも「菅家邸址」の石碑があった。
どちらが本物か。
南に向かって歩き、左手に立派な拝殿が見えた。
ここが菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)の本殿。
通称名称 菅大臣天満宮
御祭神:菅原道真公、尼神(あまがみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)
表の札にはこのように書いてあった。
「この地は約1千年前の菅原道真(849~903)の邸宅で、紅梅殿・白梅殿や
菅家廊下と称する学問所の跡」
「菅家邸址」が二箇所あったのはこのためかと妙に納得。
「道真公が大宰府へ左遷に当たり
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
と詠まれた飛梅の地である・・・」
とも書かれている。
こちふかば~ は聞いたことがある。
道真公といえば、牛様。
狛犬はこの神社にはたくさんいた。
なかでも右手(右足?)を上げて、挨拶しているような狛犬もいた。
おはようさん。
明治2年に下鴨神社の旧殿を移築したという本殿。
ご立派な建物である。
絵馬はいたってシンプル。
街中にこのような立派な神社があるとは思わなかった。
学問の神様にご挨拶したので、かしこくなったかも。
書いてあった。
月曜日に雨の中を朝の散歩がてらぶらぶら。
烏丸通りを西にはいると与謝蕪村宅跡の石碑があった。
江戸俳諧の巨匠の一人。
・春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉
・涼しさや鐘をはなるゝかねの声
小さい頃、国語の授業で聞いたことがある。
もう少し西に行くと「菅家邸址」の石碑があった。
平安時代、文章家として朝廷に仕えた菅家(菅原氏)の邸宅跡。
北の方向に鳥居が見えたので、ここだと思い進むことにした。
ありゃまー。
小さな神社だったのね。
鳥居の額を見ると「紅梅殿」と書いてある。
左側の小道の向こうに広場が見える。本殿があるはずなので行ってみる
ことに。
公園しかなかった。しょぼん。
で、月曜日はバイトに間に合わなくなったので散策は中断。
家に帰って地図を見ると、管大臣神社は仏光寺通りの南側に印があった。
昨日は道をはさんで反対側に行ってしまったみたい。
南側にも「菅家邸址」の石碑があった。
どちらが本物か。
南に向かって歩き、左手に立派な拝殿が見えた。
ここが菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)の本殿。
通称名称 菅大臣天満宮
御祭神:菅原道真公、尼神(あまがみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)
表の札にはこのように書いてあった。
「この地は約1千年前の菅原道真(849~903)の邸宅で、紅梅殿・白梅殿や
菅家廊下と称する学問所の跡」
「菅家邸址」が二箇所あったのはこのためかと妙に納得。
「道真公が大宰府へ左遷に当たり
東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
と詠まれた飛梅の地である・・・」
とも書かれている。
こちふかば~ は聞いたことがある。
道真公といえば、牛様。
狛犬はこの神社にはたくさんいた。
なかでも右手(右足?)を上げて、挨拶しているような狛犬もいた。
おはようさん。
明治2年に下鴨神社の旧殿を移築したという本殿。
ご立派な建物である。
絵馬はいたってシンプル。
街中にこのような立派な神社があるとは思わなかった。
学問の神様にご挨拶したので、かしこくなったかも。