同室Sさん慰霊式
江嵜企画代表・Ken
ブータン、ワンチュク国王陛下の京都金閣寺訪問の答礼、世界遺産寺院消失見舞い、森田りえ子画伯からの日本画の国王陛下への奉納儀式のあと、王宮内、ゾン(城)で、ブータン旅行中、急死されたホテル同室だったSさんの慰霊式が国王陛下、有馬頼底師他京都仏教会代表、ブータン僧侶参列の下、11月9日、行われた。祭壇にSさんの遺影が飾れていた。
今回のブータンを訪ねる旅は11月5日夕刻、関西空港を飛び立ち、バンコク時間午後9時過ぎに到着、ジャングリラホテルに宿泊した。相部屋のお相手は、初対面のSさんだった。誰と相部屋になるか、お互い不安なものである。しばし話し込んだ後、筆者と同室で良かったわ、と言われた。同室のよしみ、いろいろなことをSさんから教えていただき感謝で一杯である。
ブータンへはバンコク経由でないと行けない。バンコクでのホテル第一夜はSさんご専門の篆刻(てんこく)の話からはじまった。関空ロビーで結団式が行われた。その時、日本画家、森田りえ子さんに渡された篆刻の作品がSさんの遺作となった。
森田りえ子さんの絵を有馬先生は特別高く評価されていた。それが金閣寺の杉戸絵作成を森田りえ子画伯に依頼されたことに現れている。森田りえ子さんは歴史に残る絵描きさんに必ずなられますよとSさん。それもこれもSさんの遺言となった。
Sさんは大分県日田の生れだった。日田が天領であること、林業の盛んな町であること。放置すれば日本の林業は崩壊すると、真剣に林業の将来を憂いておられた。ブータンの旅団長の有馬頼底師は日田で幼年期をすごし、Sさんと有馬先生が竹馬の友だったことも知った。
Sさんのご遺体とバンコクまで戻った。帰路、ブータン、パロ空港ロビーで、有馬先生とお話しする機会があった。有馬先生が総裁を勤める「相親会」をSさんは切り盛りされていたこと、ブータン2日目の夜、ホテルで倒れ、救急車で運ばれたが、がたがた道でなければ、蘇生出来た。残念なことをした。しかし、ブータン巡礼の旅の中で逝かれたことはおめでたいことです、と話された有馬先生の言葉が印象に残っている。合掌。(了)