森田りえ子教授授業風景
江嵜企画代表・Ken
日本画家、森田りえ子先生が、京都市立芸術大学客員教授として、真澄寺別院、流響院で「流響院襖絵を語る」と題して、特別授業をおやりになると聞き、楽しみにして出かけた。いつものように会場の様子をスケッチした。
流響院なるお寺がどこにあるかも知らない。画廊たづアートの前からタクシーに乗った。10分ほどで着いた。しかし、迷った。午後2時開場、授業は2時半から4時10分まで、午後6時に神戸で高校の先輩と夕食を予定していたため、是非聞きたいと思っていた学生さんの質問が終った時を潮に退出した。
都合3人の学生が質問した。最初の学生は「絵描きになろうと決意した時を教えて下さい。」と聞いた。森田先生は「カルチャーセンターで上村淳之先生の助手をしていたが、生徒の方が花の絵がうまい。何一つ教えられない。京都植物園に毎日通い猛烈に勉強した。もう一つ、恩師の石本正先生と卒業旅行二ヨーロッパへ出かけた。そのとき石本先生の姿を見て、絵描きになろうと思った」と答えた。
二番目の学生さんが「襖絵を描いて見たいと思っている。森田先生はどんな時にが美しいと感じられるのですか?美しさの概念を聞かせてほしい」と尋ねた。森田先生はしばらく考えたあと「美しさと言うより、自然に溶け込むことかな―。一端スケッチの鉛筆が走り出すと大地に同化する。鳥のさえづ利虫たちの羽音が聞こえてくる。私たちも鳥たちや花と同じなんだとの思いから美しいものが出来る。」と答えた。
三番目の学生は「半年休学してヨ―ロッパに行きます。」と話した。森田先生は「すごいな―」と一言のあと「自分は賞金をいただいた後一ケ月一人で旅行した。そう言うことが大切です。バ―チャルだと感動した絵は描けない。危ない目にあわないように」と生徒に笑顔で話す姿は母親が子供に話すようだった。
襖絵は普通の絵とどこが違うかに付いて森田先生は「襖絵は工芸的要素を持っている。建具の一部である。建物、部屋、建具とのバランスを考えながら絵を描いた。しんどかったが、楽しかった。表具屋の陽光堂さんが襖絵に砂子を撒いて
見事に仕上げて下さった。絵描きだけでは襖絵は完成しない。」ということばが特に印象に残った。
この日の森田先生のことばでは「創画会に数回応募した。落選続きだった。そのとき個展形式でやって行こうと心に決めた。チャンスは絶対につかむ。手を先に上げたもの勝ちだと思っている。上村淳之先生の助手をしていた時がある。誰か助手をと、上村先生が呼びかけ時に、一人真っ先にハ―イと手を上げた。うぬぼれもいいところでした。しかし、時にうぬぼれも大事です。」と話した。
ここ流響院は、1909年頃、福地庵として生れた。終戦後、接収によって洋風に改築された時もあった。2006年、真如苑が譲り受け、大正時代の図面や写真を元に母屋が再現された。70種1000本の樹木が四季折々も彩りを添える。
改修工事の際、襖絵は残っていなかった。誰に描かせるか。森田りえ子画伯に白羽ロの矢がたった。建物の模型を唯一頼りにイメ―ジして描き上げたと森田先生は授業の中で話した。
牡丹の絵が母屋の襖を開ける。隣室は四季折々の花、虫、鳥であしらった絵が部屋の四面を飾る。扇面の部屋を介してはるか東山が借景として目に飛びこむ。
夕方4時、夕日が襖絵の牡丹に風に揺れる木々の影を落していた。(了)