(大谷美術館&辰馬考古資料館)
画・江嵜 健一郎
画・江嵜 健一郎
「人間の動きに寄り添うようにパーツを動かすことが出来る椅子WINKがイタリアで発売されると爆発的人気を博しTOSHIYUKI KITAの名は世界的に広まった。日本では2001年に発表された液晶テレビAQUOSC1のデザインはテレビの新しい形を生み出し世界的に認められるようになった」との話は特に印象に残った。
第二会場の辰馬考古資料館へ徒歩20分足らず移動して学芸員の青木正幸さんの話を聞いた。会場の様子をいつものようにスケッチした。冒頭青木正幸さんは「辰馬考古資料館は昭和51年(1976)開設、初代館長は高井悌三郎先生です」と紹介された。
余談ながら筆者は昭和26年、甲陽学院中学に入学、高校3年までの6年間、高井先生に親しくご指導を受けた生徒の一人である。青木さんの話を聞きながらまん丸の大きな眼鏡をかけた高井先生がよう来たなあと笑顔で迎えて下さったような気がしたから不思議である。
青木さんは「銅鐸の展示会はしばしば開いている。石棒の展示は珍しい」と話を始めた。縄文時代には矢じりのような見た目から用途がわかるものと変わった形をした石製品が登場する。石棒はその代表的なもので祭りの道具と捉えられます。長いものは2mを超えます。」と話された。
有頭式の石棒は、両端部を膨らませた石剣・石刀と非常によく似ている。石棒は男性を表し土偶は女性を表していると考えられる。石棒は会場で配布された出品目録によれば縄文時代後期から晩期にかけて岩手県、青森県、岐阜県から出土地不明も入れて21点展示されていた。土偶は4点展示されていた。土偶には左右に紐を通せる小さなが穴が見られる。祭りの際、手に石棒を持ち、土偶をお面や頭に被ったことが考えられるとの説明を興味深く聞いた。銅鐸はコメ作りが盛んになった時代の資料で豊作を祈願し感謝する祭りに用いられたとする説が一般的と話された。
貴重な機会を用意いただいた西宮文化協会の事務局の皆様にひたすら感謝である。(了)