森と共に生きる:特別展にて:ギャラリートーク
画・江嵜 健一郎
「森と共に生きる~知井地区を中心に~特別展」が南丹市立文化博物館(電話:0771~68~0081)で10月16日~12月5日まで開かれている。関連行事として日本画家、猪熊佳子先生のギャラリートークが10月31日(日)午後1時30分から作品展示会場(2階)であり、あと場所を移して、1階ホールでの「芦生の森~天空の森」と題し、芦生の森で取材され日展特賞を今年受賞された作品についての動画解説では現場でのスケッチの様子、一枚の絵が作成されていく過程も紹介があり、興味深かかった。
会場の様子をいつものようにスケッチした。会場には高島屋友の会「猪熊佳子日本画教室」有志や昔、山科教室で一緒した懐かしい面々にも会うことができ幸いだった。
恥ずかしながら「南丹市ってどこにあるの?どうして行くの?」といレベルの不案内の場所への旅が始まった。最寄り駅JR神戸住吉を朝9時に乗車、芦屋で新快速に乗り換えて京都で下車。ここまで約1時間。京都から山陰線に乗り会場最寄り駅の園部に午前10時44分に着いた。想像した以上に近く感じた。
今は通勤圏だそうだ。ただ、「京都から園部までひと昔前まで単線だった。当時は2時間近くかかった。複線になり便利になった。」と後段に触れるハプニングの際、さるご婦人から聞いた。
駅改札を出て地上に降りるとバス停とタクシー乗り場があった。開場まで十分時間がある。次のバスまで時間があった。まっすぐ歩いて20分と聞いた。初めての町を散策するのも一興かと歩き始めたがこれが甘かった。いきなり峠。あと田舎道も結構難物。途中人に尋ね尋ねしながら会場に着いたのは12時前だった。
展示第一部として会場1階で芦生地区や知井地区ゆかりの歴史資料、寺院、神社、仏像、鎌倉~室町時代の付け書き、代官への嘆願書、山争いを巡る古文書、昭和6年の郷土調査書、大水害の記録、祭りの道具、お面など数多く展示されていた。第二部はお目当ての猪熊佳子先生の日本画含め森をテーマに創作活動を続ける7名の洋画、水墨画、水彩画、染色などの作品を堪能した。全ての作家が森と共に躍動しておられる姿を出展の絵を通して強く印象づけられた。
今回参加された作家が画題として取り組まむ芦生の森は西日本有数の原生林で京都大学と地元が守り続けて令和3年、今年100周年を迎えたと知った。今回の企画展も原生林の存在をより多くの人に知ってもらう狙いと併せ、原生林を末永く残したい強い想いから企画されたと博物館事務局の方の挨拶にあった。
猪熊佳子先生は2点の作品を今回用意された。一点は北海道利尻で取材の森の絵。いま1点が芦生の森の作品だった。「20数年前に父と数回訪れたことがある。昔は鹿の食害もなかった。下草が生い茂っていた。今年、芦生研究林にかかわる企画に参加した。今回展示の「輝きの森へ」は、下草はなかったが木々は鬱蒼と茂っていた。輝く水面にたたずむ鹿を配し、木漏れ日に青金箔を使った。人間は弱い。森と一緒に生きていく鹿を入れ、動植物と共に生きる未来に想いを込めて描きました。森に命を託した作品です。」と話された。動画説明会で紹介の「芦生の森~天空の森へ」は第8回「日展」東京展(令和3年10月29日(金)~11月21日(日)、京都展(12月18日~令和4年1月15日)で展示されると聞いた。
帰路、会場の博物館前から亀岡駅行きのバスに乗車した。当然、園部経由だと思い乗った。どうもおかしい。運転手さんに確かめて初めて反対方向行だっと分かった。慌てて降りた。これが都会者の軽率なミスだった。バス停で時刻表を見ると2時間後でないと園部行のバスが来ない。あとの祭りだった。
気を取り直し一息入れた時、前方から小型のワゴン車が近づいてきた。反射的に手を上げた。手短に事情を話した。運転していたさるご婦人は助手席を指さし「園部駅まで乗りなさい。」とひとこと。なんと車内でいろいろ話が出来た。
「園部の町は単線時代は本当に不便だった。京都からこちらに嫁に来た。ここは今も昔も考えは変わらん。」と。「神戸から来た」というと「六甲道に友達がいて時々神戸へ行く。」と。「地震は怖かった」と言うと「園部もひどく揺れた」と。自然体で美しく応対してくださった。「お礼もできず失礼します。握手させてください」となんども頭を下げると「お礼なんかいらんよ。あの時、よく手を上げられたね。」と笑顔でひとこと。「地獄に仏」とはこういう時に使うのだろう。観音様に出会えた気持ちでルンルンで帰路に就いた。(了)
第8回日展(2021) 特選 天空の森へ
画・猪熊佳子