eSSay

エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

「クソまじめな男」

2005-03-27 08:33:14 | ショートショート
 ひとりのクソまじめな男がいました。何をするにも3日は考えないと行動を起こせないような、そんなクソまじめな男でした。

 ある日、彼はひとりの女性に恋をしてしまいました。ところが、あまりにもクソまじめなその男は、告白どころか、彼女の前に出ると何も言えなくなってしまうありさまでした。これでは、彼女の気を惹くことはできません。
 そこで男は、1ヶ月間、自分のクソまじめを直す方法を考えることにしました。何といっても女性にモテないことは、男にとって最大の恥なのですから。1ヶ月もあれば、何かしらいい解決策が見つかるはずでした。

 しかし、彼のクソまじめはついに直ることはありませんでした。なぜなら、1ヶ月も考え続けることこそ、クソまじめそのものだったからです。


 Copyright(c) shinob_2005


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人を好きになるということ

2005-03-20 08:40:33 | 女の子
 『ウィークリーまぐまぐ』を見ていたら、「あなたの“終恋”はいつごろだと思いますか?」というのがあった。初恋に対しての“終恋”。何て読むんだろう。しゅうれん? それとも、ついこい?
 それはともかく、その回答はいろいろで「20代。もうたくさん」というのもあったし「生きている限り」というのもあった。人によって違うのは当たり前だとしても、20代でもう恋はしたくない、というのは何か事情があるにせよ寂しすぎる。

 年をとるとスケベ親父になってしまい、いわゆる純粋な恋なんてしなくなるものだと若い頃は思っていたが、どうもそうではない。結婚し、中年と呼ばれる年になっても、人を好きになるというのは普通にあることだ。もちろん、スケベ心がないと言ったらウソになるが、若い頃と同じように「あの娘素敵だー」と思う気持ちは依然として残っている。
 残念ながら、お付き合いにまで発展することはないのだが、恋心というのは、ちょっとやそっとではなくならないものだし、またそうでないと人生面白くない。幾つになっても、人を好きになるのはいいことだ。確かあのゲーテだって、80くらいになっても何十歳も年下の女性を好きになっていたというし。

 人を好きになるというのは、誰かを好きになっている自分自身に酔うことでもあるのだが、それはそれでいい。それより、自分を磨こうとする気持ちになれることの方が大いに意味がある。単純な話、女性ならきれいになろうとするだろうし、男性ならカッコ良くなろうとするだろう。恋をしなくなったら、恋を諦めたら、うらぶれた年寄りになってしまう。

 ところで、恋心を抱いてしまうとそれを伝えたくなるものだが、言葉にしなくても伝わってしまうことは多い。それは何ていうのか、雰囲気というのか目配せというのか、本人が意識しなくても自然に発せられるもの。だから、無理に言葉にしなくてもいいような気もする。
 「好きだ」「愛している」などと言ってしまうよりも、むしろその方が奥ゆかしくて趣きがある、と思ってしまうのは年を喰ってしまったせいか。
 いずれにせよ、若い頃は素敵な恋をどんどんし、あるいは失恋もどんどんするのがいい。恋をしない人間というのはつまらない。僕自身あまり恋をしなかったせいか、余計そう思う。

 そうそう、先日、本屋で立ち読みをしていたら、生涯で最もいい結婚相手を選ぶ方法、というのを確率か何かで解明した文章があった。ただ、本の名前とか内容を正確に覚えていないので、またいずれ紹介したいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ひと晩考えさせて」

2005-03-13 08:45:48 | ショートショート
 長いこと悩んだあげく、思い切ってM子に「好きだ。付き合ってくれ」と言った。すると彼女、ちょっと間を置いてから「ひと晩考えさせて」と答えた。それがどういうことなのか、YesかNoでしか返事が来ないものと思っていた僕には、すぐには意味が呑み込めなかった。でも、軽々しく「いいわよ」なんて言わないところがまたいいと思った。
 その晩、翌日の彼女の返事に思いを巡らせながら、僕は希望と絶望との間を行ったり来たりしていた。「ひと晩考えさせて」と彼女は言った。今夜ひと晩、何を考えるのだろう。付き合うにふさわしい男かどうか、じっくり考えるのだろうか。それとも、何か僕のことを調べたりでもするのだろうか。もっとも、やましいことは何もないのだが。
 ひと晩、ひと晩、ひと晩……ウトウトしているところへ電話が鳴った。
「あの、…」
 女の子の声だったのでとっさにM子だと思った。が、知り合いのS美だった。わりとよく話をする子だ。
「どうしたの、こんな時間に」
「あのね、一度しか言わないからよく聞いてね。実は私、あなたのこと好きだったの。付き合ってほしいの。でね、変な話だけど今夜中に返事がほしいの。できれば今すぐ」
「今すぐ? どうして?」
「どうしても。わけは聞かないで」
 女の子に告白したその日に別の女の子から告白されるなんて変だな…と、ここで僕は気がついた。確かM子はN男に惚れていたと思うし、そしてN男はO代にぞっこんだというのをどこかで聞いたような…。
 つまり、どのくらいの大きさかはわからないが、一つの輪っかができているらしいのだ。とすれば、僕の返事ひとつで、どこがつながりどこが切れるのかが決まってしまうことになる。一瞬のうちにここまで頭が回った僕は、何だかおかしくなってきて、笑い出してしまった。
「ねえ、何笑ってるの?」

 Copyright(c) shinob_2005
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受験シーズン

2005-03-06 09:55:19 | エッセイ
身近に受験生もいないし、僕自身の受験時代ももう何十年も前のことだから状況がよくわからないのだが、私立の大学や高校が終わって、今は国公立の大学入試が真っ盛りといったところだろうか。
世の中の仕組みとはいえ、受験とは大変なもの。もうあのような思いはしたくない、というのが正直な気持ちだ。

とは言っても、限られた科目の範囲内での勉強をし、その範囲からの問題に答えればいいのだから、やる気さえあれば、そう難しいことではない。それに、人格まで否定される訳ではないのだから、もし合格できなくてもその部分だけがダメだったのだと考えればいい。うまく行かなくても、そこで人生終わるわけではない。それはそれで、素敵な将来につながっていると考えたい。
仮に、人間性を見るテスト、なんてのが現われたら現われたで、その準備を充分やった者が合格するという、何だか気味の悪いことになってしまう。

決められた科目なしで試験される、というのが本当のテストだと思うが、それはおそらく、社会に出てからの、例えば会社での人事考課といったものがより近いと言えるだろう。もちろん運もあるし、会社なら会社にとって役に立っているかどうかというのがその尺度になるのだが、人間性を含め、何年にもわたって評価されるというのは、考えようによってはペーパーテストよりも正確な分、怖いと言えるかもしれない。

話がちとそれてしまったが、受験に限らず、自分の人生うまく行かないな、と感じた人には、デール・カーネギーの『道は開ける』という本をお勧めしたい。全世界で何千万部と売れている大ベスト&ロングセラーで、僕も何度となく救ってもらっている。1600円と少々値は張るが、一食、いや二食抜いてでも、是非!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする