高校3年の時だったか、数学のベクトルに出てくる「内積」はなんで「内積」と言うんだろう、という話を同級生にしたことがある。返事は「内積は内積だろ。意味はない」というものだった。そいつ僕と同じくらい勉強は出来る奴だったが、「ただのお勉強バカだ」と思った次第。(実際のところは "innner product" の和訳で、ベクトルには足し算/引き算があるので「掛け算」も考えたようだ)
中部国際空港・セントレアが“Central”と“Airport”との合成語であるように、複合語には元となる単語が必ずあって理由もあるもの。それが分からんチンには、話をしても無駄というもの。
で今回は、そもそも元となる言葉はどのようにして発生したのか、ということについてヒマに飽かせて考えてみた。長くなりますがお付き合いのほど。
・青/赤/白/黒
大和民族がまだ言葉を持たず感性も豊かだったころ、大空は今よりもっときれいだったろう。それを見上げると自然と口が開き「あ」の形になる。そしてその広大さ/美しさに思わず「おー」という声が漏れたに違いない。そして「あお」が生まれた。(ついでながら「仰ぐ」はこの「あお」から来ているのかもしれない。また「うつむく」も「うつ」と関係あるのかも)
なお、昔は緑も「あお」と呼んでいたようだが、これも同じこと。
同様に、赤いものの代表としての夕焼けを口開けて見上げた際、その強烈さに「かっ」という声が漏れ出たとすれば「あか」という言葉が生まれる。(あるいはその時、カラスが「かあかあ」と鳴いていたのかもしれない) またそこから「あかるい」が派生した。
地上の光と影とは下を向いて見つかるもの。その際の口の形が「お」として、透き通ったイメージの「さ行」の「し」と結びついて「しろ」、重い感じの「く」と結びついて「くろ」になったのだろう。(またそこから「くらい」が派生した)
・目/手/鼻/歯
赤ん坊が食べ物や母親を「まんま」と言うのは人類共通の現象。そして生きて行く上で最も大切な「見る」行為は発音しやすい「ま行」でやるのが理にかなっている。だからその昔、仲間に何かを見て欲しい時にはその方向を指差しながら「み! み!」とでも言っていたに違いない。それが「見る」となり、そのための感覚器官は転じて「め」になったのだろう。
「つかむ」「もつ」のように、手を使った動作は「た行」で表わしたのだろう。それを行なう器官が「て」。(どちらがタマゴかニワトリか)
世界的に否定語が“N”で始まるように、物が「ない」ことは「な行」で表わしたのであろう。「な! な!」というふうに。それこそ何もない、穴の開いた顔の器官である「はな」は、「ない/な」から派生したに違いない。
肉でもエサでも、かぶりつく時は「はむはむ」という音になる。そこから「食む」という言葉ができ、それを行なう器官が「は」となった。
・芽/実/花/葉
植物にとって土の中から出てくる最初の部位、それはまるで地上の様子を窺いながら出てくるようだ。だから、人間の目と同じ音「め」になった。(ついでながら、「手」から「芽」のように生えてくるから「つめ」だろうと思っている)
生きる上で大切な食べ物(まんま)。それが植物の実であるなら、それをやはり「ま行」の「み! み!」とでも言ったのに違いない。だから「み」。
花は、人間の鼻と同じく中心にあるものだから「はな」。
板状でたくさん生えている葉っぱ。人間の顔で言えば歯に相当する。だから「は」。
・水/雨/天
木の実と同様、水も生きて行く上で非常に大切なもの。それはやはり「ま行」で表わすのが合理的であったのだろう。実や水を指差しながら「み! み!」と言ったに違いない。そこから「みず」となった。
ついでながら海は、大いなる水を目にして「おお、み!」となり「うみ」となったのだと考えられるし、水面(みなも)は「みのおもて」から。(そうすると「みずうみ(湖)」の中には水が2つ入っていることになる)
雨は上から降ってくるものなので、見上げながら水の意味で「み」と言えば「あみ」そして「あめ」となる。自然、頭の上(天)は「あま」に。
・神/上/髪
そして「あま」あるいは「あめ」から、強烈な印象の「か行」が頭に付いて、天にいる神様のことを「かみ」と呼ぶようになったのだろうと思われる。
だから上の方にあるものは一律「かみ」に。(ただし「紙」についてはよく分からない)
…ひょっとしたら、語源の研究で有名な国語学者の大野晋さんあたり、別の説を唱えていたかも。
しかしこうして考えると、確かに日本は〈言霊の国〉。