たとえば友人なり恋人なり上司なりから、「君(あなた)のやり方は間違っている」と言われたとき、「この野郎、バカにしやがって」という受け止め方と、「自分のためを思って言ってくれてる」という受け止め方とで、態度・行動は大いに違ってくる(もちろんその前に、脳内物質の分布というのが違っているのだが)。
外部の状況にどう反応するかというのは、人によってクセがあるものの、ある程度オートマチック化されていて、〈自動思考〉と呼ばれる。「自分が悪かった」と思うか、「お前が悪い」と思うか・・・。
何十年も生きていると、そのクセというのは身に染み付いていてなかなか直らないものだ。でも、「人の足引っ張りやがって」と考えるより、「自分の欠点に気がつくことができた」と考える方が、精神衛生上はるかにいいに違いない。自動思考が100%正しいとは限らないし、相手の意向がどうだったのかってのは、発言した本人さえ正確にはわかっていないことだってある。さほど意識せずに何か言うってのも、よくあることだ。
だから、周りの状況に対しては、できるだけ好意的に受け取るほうがいい。たとえ敵意のある発言・扱いをされたとしても、バカボンのパパじゃないけれど「これでいいのだ」と思えるとき、おそらくその人は一番いい状態にあるに違いない。
もちろん「今のままじゃダメだ。もっと努力しなければ」といった考えも必要だ。ただそれは、現状を否定した上ではなく、現状をとりあえず肯定した上での“さらにもっと”というのでなければならない。
それと性格。特に若い人は、自分の性格(他人の性格)で悩むことも多いかと思う。でも自分は自分(他人は他人)と、そこから出発しないと何も始まらない。「これでいいのだ」からまず始めないと。
かく言う僕だって、どちらかというとすぐ悲観的になって「どうしようどうしよう」となってしまうタチなのだが、年とってきたせいか、あまりアタフタはしなくなってきた。上記のような考え方を、経験上学んできたせいもあろうが。
何か悪いことが起きても、そのおかげでいいことに巡りあえたのなら、それは“悪いこと”ではなかったってことだ。電車に遅れてしまったが、次の電車ですごい美人に出会えた、といったような・・・。まあよく言う〈塞翁が馬〉あるいは〈禍福はあざなえる縄のごとし〉なんだけど。
だいたい、とんでもなく悪いことというのは、滅多に起きるものではない。もちろん、最悪のケースを想定してそれに備えておくのは必要なことなのだが。
ついでながら、組織のリーダーの資格の一つとして、「どれだけ最悪のケースを想定できるか」というのがあるそうだ。リスク管理能力、である。だから、長と呼ばれる人たちには、あまりヘラヘラしたのはいないはず。さらに言うと、その上で「何とかする/なる」という考え方も必要らしい。
なかなか難しいかもしれないが、「これでいいのだ」と考えるクセは、きっといいはず。