幕末や明治の時代にはそれこそたくさんいたのかもしれないが、現代には珍しいというのか、まったく笑わない男がいた。
もうとっくに引退をしていたのだが、元々はお笑い芸人だったそうだ。時代を席捲し、彼がいなければテレビ番組が成り立たない時期もあったという。
男女を問わず、またあらゆる年代に彼の芸は受け入れられた。それは勘、そして記憶力がバツグンに良かったせいもある。あらゆる笑いのパターンを知り尽くし、どういうタイミングでどういうギャグを入れればいいのか、あるいは何も言わない、何もしないのがいいのか、というのを完璧に身に付けていた。
武道の達人があらゆる攻撃に対処できるように、笑いのすべてを会得していたと言ってもいい。だから彼は、もはや逆にどんな笑いのパターンにも反応できなくなってしまっていた。すべてを知り尽くした者の悲哀、である。
そんな彼も、遂に死の床に臥すこととなった。
昔を知る友人、そして弟子たちは、せめて死ぬ前に一度、彼に笑顔を見せてもらおうと努力した。絶頂期だった頃のビデオを見せたり、思い出話や苦労話、昔の面白かった話をしたり、と。しかしそんな努力もむなしく、一度も笑顔を見せることなく彼は息を引き取った。
だが思わぬことに、彼の死に顔はかすかに笑っているように見えた。笑いに生き、そして笑わずに生きた自分の一生が、何とも皮肉に思えたのかもしれない。あるいは、薄れゆく朦朧とした意識の中で、まったく思いもしなかった笑いのパターンを見出したのかもしれない。ただ、その笑いの意味は本人しかわからないのであるが。
いずれにせよ、その死に顔は、穏やかそのものだったという。
Copyright(c) shinob_2005
もうとっくに引退をしていたのだが、元々はお笑い芸人だったそうだ。時代を席捲し、彼がいなければテレビ番組が成り立たない時期もあったという。
男女を問わず、またあらゆる年代に彼の芸は受け入れられた。それは勘、そして記憶力がバツグンに良かったせいもある。あらゆる笑いのパターンを知り尽くし、どういうタイミングでどういうギャグを入れればいいのか、あるいは何も言わない、何もしないのがいいのか、というのを完璧に身に付けていた。
武道の達人があらゆる攻撃に対処できるように、笑いのすべてを会得していたと言ってもいい。だから彼は、もはや逆にどんな笑いのパターンにも反応できなくなってしまっていた。すべてを知り尽くした者の悲哀、である。
そんな彼も、遂に死の床に臥すこととなった。
昔を知る友人、そして弟子たちは、せめて死ぬ前に一度、彼に笑顔を見せてもらおうと努力した。絶頂期だった頃のビデオを見せたり、思い出話や苦労話、昔の面白かった話をしたり、と。しかしそんな努力もむなしく、一度も笑顔を見せることなく彼は息を引き取った。
だが思わぬことに、彼の死に顔はかすかに笑っているように見えた。笑いに生き、そして笑わずに生きた自分の一生が、何とも皮肉に思えたのかもしれない。あるいは、薄れゆく朦朧とした意識の中で、まったく思いもしなかった笑いのパターンを見出したのかもしれない。ただ、その笑いの意味は本人しかわからないのであるが。
いずれにせよ、その死に顔は、穏やかそのものだったという。
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