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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

ありがたい教3(目の保養)

2010-10-31 07:30:02 | こころ
 
 前回、ずいぶんと昔のことを書いてしまった。
 なぜあんなことを思い出したかと言うと、もう終わってしまったがNHK『10年先も君に恋して』を見ていたから。

 上戸彩主演のこのドラマ、結婚10年目で破綻した夫婦の夫の方(内野聖陽)が、タイムマシンで出会った頃に戻って破綻を阻止しようとするもの。
 その結末はともかく。かわいらしいとは思っていた上戸彩だが、あんなに演技が上手だとは思わなかった。未来のけだるそうな妻役もハマっていたし。
 その中で、ほとんどすっぴんで出演している場面もあった。(まだ若いからできること)

 あの上戸彩みたいに、女性みんながすっぴんでいたら、世の中どんなにつまらないことだろう。外に出る女性はみな、10分なり20分なり、人によっては何時間もかけて化粧をしてくれる。
 もちろんそれは「きれいに見られたい」「若く見られたい」という女性なりの心理なのだが、そのおかげで僕ら男性陣は、癒やしてもらえるのだし〈眼福〉も味わうことができる。いい香水のかおり付きの場合だってある。
 きれいな服を着るのだって、自分のためなんだけど、その代金のご利益を受けているのも、周りの人。
 もちろん僕だけのためじゃないんだけれど、毎日毎日、すべての女性が僕らのために化粧をし、美しく着飾ってくれるのかと思うと、ありがたくて仕方ない。もし彼女たちがそれを放棄したら…。

 それは道端の草花でも同じ。
 もちろん虫や鳥をおびき寄せ、受粉ひいては子孫繁栄が目的ではある。でも僕らも毎日、見ることで嗅ぐことで楽しませてもらっている。
 仮に梅や桜の咲いてない春、キンモクセイやコスモスの咲かない秋、サンマやマツタケのない秋を想像してみるといい。味気なくてしょうがないことだろう。

 女性にしろ草花にしろ、いてくれるだけで、咲いているだけで、ありがたいことだ、と。別に付き合えなくても、話さえできなくても、そこに存在してくれるだけでいい。
 こう考えていくと、この世は天国なのではないかという気もしてくる。

 ところで上戸彩、“山本勘助”とも対等にやりあっていたし、そのうち大河ドラマの主役でもやるんじゃないか。
 

〔写真は、Artworksより〕

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僕のモテ期

2010-10-24 10:25:59 | 女の子
 
 気難しい性格が災いしてか、彼女というものがなかなかできなかった20年以上前の話。(少々自慢げあるいはノロケに聞こえるかもしれませんが、ご勘弁を)

 26歳を過ぎたころ、友人や先輩たちから「こんな子いるんだけどどう?」「知り合いの娘さんを紹介したいんだけど」といった話があちこちから舞い込むようになった。それは友人の知り合いだったり、先輩の奥さんの友達であったり、会社の人のいとこだったり。
 掛け持ち(ふた股)というのはもちろんやらず、順に、食事行ったり、ハイキングに行ったり、動物園に行ったり。残念ながらこちらからお断わりしたこともあったし、これまた残念ながら断わられたことも。
 断わったり断わられたり、やれやれっと思っていると次の話が、という、言わばモテモテの状態。仕事そう忙しい時期じゃなかったんで良かったが。
 都合たしか7人紹介され、5番目に会ったのが今のカミさん。松田聖子の『いちご畑でつかまえて』ではないけれど、だいたい女の子ってのは男から逃げて行くものだが、この子だけは、何だかんだ無理言ってもついて来てくれた。それが、一緒になろうと決めた最大の理由(おっとりしてて可愛いらしかったというのもある)。
 まあその前に気の合う子に当たっていればそこで決まりだったろうし、カミさんで決めきれなければ、そのあとの子になっていた。ひょっとしたら、今も独り者だったかも。

 ちなみに残り2名は、どっかの大学教授の娘さん、それと東京女子大出の子。おそらくどちらもお嬢様、あるいは才女だったと思うし、一度会ってみたかった気もするが、今となっては…。器用にふた股あるいはみつ股掛けていれば、人生違っていただろう。(ただその場合でも、同じようなことをこうして書き記しているのかも)
 顔も名前も忘れてしまった子たち、顔も名前も知らずに済んだ子たち、元気にしているだろうか。

 ところで、結婚するとなると逆に“モテる”のも事実。「ねえねえ、いつ結婚するの」とか「相手どんな人?」とか、それまでろくに話もしなかった会社の子が話しかけてきたりするものだ。
 所帯持つからには無茶しなだろうというのもあって、いっときモテモテにはなる。だから独身の諸君、一度は結婚してみるのもいい。

 以上、恥ずかしながら僕のモテ期でした。ただこれを、正確に〈モテ期〉と言っていいかどうか。
 ともかく、一生のうちに3回はモテ期があるらしいから、中学校時代と合わせ、あと1回はあるのかも。なお、今じゃ性格だいぶ丸くなっていますんで。
 そうそう、この話はカミさん(人に言わせれば才女らしい)にはナイショ。

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正義の話をしよう

2010-10-17 09:34:32 | エッセイ
 
 タイトルはご存知、米・ハーバード大学で白熱教室を開いているマイケル・サンデル教授の弁である。東大にもやって来たそうで、先日NHKでその様子が放映されていた。
 イチローの年俸は高いかどうか、僕らに戦争責任があるのか、といった難しいテーマで議論がなされ、それはそれで、面白かった。

 ただ気になったのは、ある参加者をリベラリスト(自由主義者)ならリベラリストとして認めたら、それ以降、リベラリストとしての意見しか言わせないようにしていたこと。
 「僕は~と思います」に対し、「君はリベラリストではなかったのか」といった調子。まずリベラリストのイメージあるいは定義が、教授と参加者とでは違うのになあ、と感じた次第。
 進行する上で必要な“演出”なのかもしれないが、まあたとえば、マモル君は保守主義者、ススム君は進歩主義者、といったようにレッテルを貼っておけば、覚えやすいし指名もしやすいだろうとは思う。(白か黒かで決め付けたがるのもアメリカ人らしいのだが)
 確か派手な格好をしたメガネの青年が「でもそう思うんです」と言っていたが、それは正解だろうと思う。自分が考える/思うことを述べる、これこそ〈正義〉。

 僕なら、たとえば「君はロマンチストか?」と聞かれたら「そうだ」と答えるには答える。しかしだからと言って、相手の思うような〈ロマンチスト〉であるとは限らない。これは、どんな信条/主義であっても同じ。概念にはズレなり幅があるものだ。
 だから、「君は○○主義者だからこうすべきだ/こう言うべきだ」というのは、まっぴら御免。人前で、特にテレビカメラの前で信条と異なることを言わされるなんて、イヤなこった。(参加者の中には、話の流れで言わされた人もいたことだろう)

 とは言え、重要なテーマばかりだし、進行の仕方もうまいし、真面目で非常に頭のいい人であるに違いない。また機会があれば、見てみたいところ。
 ところで、カットされていない、実際の授業というのはどうなんだろう。ある程度考える時間だって必要だろうし、議論が交錯あるいは混乱することだってあるんじゃないか。だから、参加してみたいとも思う次第(指名されたくはないが)。
 なお、冒頭の検討テーマに対する僕なりの答は、それぞれ「比較するものによりけり」「すでに謝罪する人がいなければ、そして相手の気が済むのなら、謝ることも可」である。

〔写真は、NHK「ETV特集」より〕

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ありがたい教2(幸せへの道)

2010-10-10 13:54:12 | こころ
 
 たとえばシャツを着るとする。それは中国やベトナムの、名も知らぬ女工さんたちが縫ってくれたものであるかもしれない。
 たとえばホカホカのご飯を食べるとする。それはお百姓さん、JAの人、運ぶ人、そして炊いてくれたおかあさんや奥さん、あるいは食堂のおばちゃんがいてこそである。
 目の前にあるありとあらゆる物は、誰かの手によって作り出されたもの。

 …と、ここまではよくある話。
 たとえば水を飲む。それは自然に濾過されたものであったり、微生物が浄化してくれたり、水道局の人たちが働いてくれるからである。
 たとえば呼吸をする。取り込まれるその酸素は、雑草含め、地球上の植物たちが作り出しているものである。

 アニメ『ドラゴンボール』で、孫悟空の大技に「元気玉」というのがある。生きとし生けるものすべて(岩石もあったか?)から少しずつパワーを分けてもらい、それを上空にまとめて敵に放つというもの。
 別にあなただけ/僕だけに酸素を作ったり水をきれいにしたりしているわけじゃあない。でも、少しずつ少しずつ、皆があなた/僕を応援しているってこと。元気玉ほど派手ではないけれど、そういうイメージ。
 そんなこと考えもしない人もいるだろうけど、これは事実だし、年とるとこういうのが実感としてわかってくる。お年寄りがよく「ありがたや」と言うのも、働いていないにも関わらず生きていけるってことに感謝するとともに、こういうことが理解できてくるから。

 その辺よく分かっていない人ってのは、周りをつい敵視してしまうのだけれど、そうじゃないってこと。いや、敵でさえ、自分の成長のためには必要なんだ(必要悪みたいなもの)という考え方もある。
 あなた/僕が生まれてこのかた、直接に間接に一体何万人、何百万人の人たち、植物そして微生物たちがあなた/僕を「生かして」くれたのだろう。そんなこと考えていくと、「ありがたいことだ」と思わざるを得ない。
 逆にあなたも、仕事や勉強あるいは存在自体を通じて、大なり小なりきっと誰かの役に立っているのに違いない。
 ついでながら、あなたや僕を生かしてくれている周りのすべてこそ、〈神さま〉〈仏さま〉ではないかという気がする。

 …ひとり旅の電車に揺れながら、こんなことを考えていました。
 なお、韓国からは先ほど帰ってきたところ。見聞録についてはまた後日。

〔写真は、高野山に向かう途中の伊賀上野にて〕

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とりあえず2級

2010-10-03 09:55:45 | エッセイ
 
 英検や建築士ではなく、おととしから本格的に取り組み始めた合気道の話。
 ほぼ週2回のペースで稽古を進め、とりあえずの目標だった2級に合格。2級にこだわったのは、昔取った英検や漢検と揃えたかったから。これで合計6級(いやいや、足しちゃいけない)。
 茶帯を締めることになりますが、今の紫帯をくれた先輩が、また帯を譲ってくれるそう。

 ただ12ある昇級審査項目のうち、2つがどうもうまくできなくて、追試と言うのか、きのうその2つについての特訓を受けてきたところ。「突き入身投げ」と「横面打ち第三教」という技で、何度も手ほどき受けて、何とかできた次第。まだまだ修行が足りないなあ、と。
 このあと1級そして初段、弐段と続くわけですが、再来年までには黒帯締めるようになりたいものです。その時は、考え方ももうちょっと高尚になっているのかも。
 そうそう、11月23日には静岡県合気道連盟の発足式というのが沼津であるらしい。道主・植芝守央氏も来られるそうで、参加するつもりです。

 合気道は性格穏やかな人が多く、また人生についてよく考えている人もたくさん。そういう意味では、たまにある飲み会でもいい話ができるのが嬉しい。
 また、いい運動になるんで体調いいし、おなか出っ張ることもないし、何よりカゼひきにくくなったのは助かっています。
 それから、ある師範に上手くなるコツというのを尋ねたことがあります。その答えは「普段の動作すべてに気を配ること」というものでした。なるほど。

 話変わって、うちの会社では50歳を過ぎると、有給休暇と旅行券とが支給されます。仕事も一段落したし、2級にも合格できたし、あすからその休暇とってちょっと出掛けることにします。まずは一人で高野山でも、そしてカミさんと韓国へ。
 考える時間もできるので、またリフレッシュしてこの欄も頑張りたいと思います。
 ではまた。

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