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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

何ともやるせない

2018-06-24 09:26:24 | こころ
 
 だから、大震災はじめ事故や事件、いじめや折檻で命を絶たれた、特に子供たちのことを思うと、何ともやるせない気持ちになる。

 もちろん生きてて楽しいことばかりではない(し、僕が言うことでもないのかもしれない)が、いろんな経験させてあげたかったなあ。
 友達とのおしゃべり、遠足、修学旅行、運動会、文化祭、宿題、定期試験、涙の卒業式、受験勉強、就職活動、新人研修、仕事、残業、出張、歓送迎会、忘年会、人間関係の苦労、花見、海水浴、紅葉狩り、スキー、もちつき、アイドルに夢中、恋愛、失恋、結婚、子育て、W杯に熱中、おいしい物食べ歩き、テーマパーク、コンサート、映画、小説、美術館巡り、温泉旅行、海外旅行、孫の世話、等々々々。
 これら当たり前のこととして僕ら経験している事がらは、その当たり前ができなかった子たちにすれば、この上もなく有り難いことに違いない。

 同様に、僕らこうして生きているけれど、災害/事故/難病に遭わずに生き延びているだけだとも言える。通勤途中で目にする小中学生もそう。不慮の事故で亡くなっていたかもしれない子たちの成長した姿だとすると、「よくぞ生き延びた」「死ぬんじゃないぞ」と思わないわけにはいかない。
 こういうことは、実際に事件/事故が起きてからでないと考えないもの。(深く考えることはなくなるが)悲惨な事件は起きないのが一番。映画『マイノリティ・リポート』みたいに、事前に防げないものか。(AIが発達すれば、ある程度は可能になるのかも)

 もちろん児童相談所や警察、学校や教育委員会による防止策など、現実的な対応は必要。それで以って命を落とす子供が一人でも減ってくれれば、先に亡くなった子も浮かばれようというもの。
 また魂とか生まれ変わりとかも、信じたい。若くして死んでしまった子には、生きている子供たちを守っていてほしいし、次に生まれ変わった時には幸せに満ちた人生を歩んでほしいと、切に願う。(今が幸せだって人、ひょっとしたら前世ではツラい人生だったのかも)

 …死が近づくと、世界が美しく見えるものらしい。前回話をしたように、ここのところ身の回りが驚きに満ちて見えるようになっているから、あるいは僕も寿命が近いのかもしれない。
 いずれにせよ、あの世に行ったなら、そして亡くなった子たちに逢えたなら、ひと声掛けてあげたい。何て言えばいいのかは分からないけれども。

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世界は驚きに満ちている

2018-06-17 09:43:44 | こころ
 
 スポーツの素晴らしいプレー、タレント/女優のかわいらしさ、世界遺産の見事さはもちろんながら、身の周りありとあらゆるものが素晴らしく見える、という話。

 おそらくキッカケは次の2つだと思っている。
・テレビの特番で、色弱矯正のメガネをプレゼントされた少年の見る世界が色彩に満ちたものになったというシーンを見たこと。
・映画『モリのいる場所』で、主人公・熊谷守一(山崎努)がアリや小石を日がな一日眺めているシーンを見たこと。

 ある朝、自転車で家の近くの神社の前を通った際、ふと「この世界は驚きに満ちている」という言葉/イメージが心に浮かんだ。
 そうすると不思議なことに、山の緑も、田んぼの水も、空の青さも、雲の形も、驚きを持って目に入るようになってきた。(ひょっとしたらある種の薬物でこういうのあるのかもしれない。もちろん服用はしていないし、いつも酔っ払っているわけでもない)
 これが、もう半月ほど続いている。こんなの初めて。
 いやあるいは、小さい頃はこうだったのかもしれない。いつの間にか曇ってしまった目が、晴れただけなのかも。

 重力、太陽、大気、磁気、生物、社会、街並み、ありとあらゆる物が、バランスよく配置されているこの世界。驚きに満ちているとしか言いようがない。
 これまで、自分の気分や他人の視線、世間の評判を気にして、意識が自分にばかり向いていた。それがいっぺんに外に向けられることになり、大げさながら「人生変わった」ような気分。
 さらに言うと、この世から自分がいなくなっても、こういう素晴らしい世界が残るのなら、何の心残りもないといった心境。…言葉ではなかなか説明しづらいのだが。

 だから、(つづく)

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もうじきロシアW杯

2018-06-10 12:06:20 | サッカー
 
 ロシアでのW杯も間近だっていうのに、我らがサムライブルーはパッとしないこと。
 スイス戦を見たが、決定機らしい決定機がなく、得点できないのも仕方ないと思える。全体的に、体のキレがないように見えた。キャンプでちょっとやり過ぎているんじゃないか。確か前回ブラジル大会の時も調整に失敗したというから、同じ轍は踏まないでほしいもの。
 日本選手がこれだけヨーロッパに進出しても、他の国の選手はもっと上のチームでレギュラー取っているんで、差が付くのもやむを得ないか。
 いずれにしても、本番で勝ち点「1」取れるかどうかってところ。「奇跡を起こしたい」という発言もあったようだが、いつまでも奇跡頼みでは…。

 オリンピック世代ならまとめられる西野監督も、クセの強いフル代表の選手たちを指導するのは難しいのかも。人が良すぎる、と言うのか。ハリルホジッチのような強烈な個性を持った監督でないと、難しいのだろう。
 そのハリル解任の是非も論じられているようだ。結果によっては、彼の方が良かったと言われることだろう。〈たられば〉になってしまうが。
 誰なのかは知らないが、一部の選手から「監督変えて」との意見があったそうだが、それでホイホイと変えていいものかどうか。“ケンカ”の時は、双方から意見聞かないといけないはず。

 さて優勝はと言うと、ブラジル対スペインの決勝も見てみたいところながら、フランス辺りか。若い点取り屋・グリーズマンが躍動すれば、面白くなる。
 そうそう、本大会出場数を今の32から48にする案があるそうだ。大差の付く試合が増えるんで、やめた方がいい。
 …何はともあれ、世界一流の素晴らしいプレーを堪能するとしますか。

 〔写真は「サッカーTV」より勝手ながら拝借〕

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日大アメフト事件を見て

2018-06-03 08:52:14 | 時事
 
 中学でサッカーを始めた。強豪校というわけでもないし、体小さくて上手くもなかったからレギュラーなんてとてもとても。だから監督(顧問の先生)の顔色なんて窺う必要もなかったし、考えもしなかった。
 大学でもサッカー部に所属。部といってもサークル活動みたいなもので、監督は上級生または同級生だしほとんど気も遣わずに済んでいた。とは言え強い時もあって、毎年夏に行なわれる(たしか)7大学の対抗戦で優勝できたのは、学生時代のいい思い出。(左の“サイドバック”をやっていた)

 40代で合気道を始めた。先生に逆らうことは許されず、従わないと(特に機嫌の悪い時は)稽古で痛めつけられてしまう。また従順にしていたら昇段できるが、ちょっとでも反抗的な態度(それがまともでもあるのだが)をとった仲間は何年も昇段お預け。(それでも彼は頑張って続けている)
 合気道自体は素晴らしい武道なのだが、体育会系というのはこういうものなのか、とイヤになって辞めてしまった。教わることも多かったものの、精神的な“奴隷”になりそうで「もういいや」と。続けていれば三段四段にはなれたかもしれない。

 競技の監督にしろ会社の上役にしろ、人の上に立つと変な意味での〈全能感〉を持ってしまうのかもしれない。人間の悲しい性(さが)なのであるが、どこかで大きな〈しっぺ返し〉を食らってしまうに違いない。
 しかしながら、よく言われる「かわいがってやる」的なものがまったくなくなってしまい、皆が皆きまじめになってしまうのも寂しいもの。要は〈バランス〉か。

 大学の体育会は素直で従順な社会人を作り出すのに有用だ、という見方がある。監督やコーチの(つまりは将来、上司の)顔色窺ってくれるから、ということらしい。一理あるものの、何とも哀しい限り。

 …日大アメフト部の“傷害”事件そしてその後の報道を目にして、思い出したもろもろ。ところで、理事長が表に出てこないのはどうにも腑に落ちないところ。
 いやひょっとしたら、もしこれだけ大騒ぎになっていなかったら、何年後かのち「あれで精神的に強くなってここまで来れました」と、かの選手が涙ながらにかの監督に報告していたかもしれない。…あり得たもう一つの現実。
  

コメント (1)
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