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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

アクセス多いか少ないか

2010-01-31 09:27:48 | エッセイ
 
 このブログも6年目。当然ながら始めた頃はアクセスも少なく、日にせいぜい数件、時にまったくアクセス無しという日もあった。1年目は週間数10名、閲覧も100届いてなかった。
 失礼な喩えながら、〈100匹目の猿現象〉よろしくせめて100名に達すれば、とは思っていた。

 長いこと続けていれば記事も増えるわけで、おかげで今では日に50名ほど、1週間で延べ400名ほどの方からのアクセスがある。これが多いのか少ないのか、上見りゃ何万というアクセスのある有名人もいるだろうし、下見りゃ見たで…。
 質はともかく、本1冊分くらいの量は書いていると思うが、話があちこち飛ぶしね。ただ、始めた頃にもいい記事があると思うんで、それが果たして読まれているのかどうか。
 ここで、よく読まれているらしい記事ベスト3を書いておく。
   1.なぜ葉緑体は緑なのか(2005年5月)
   2.腹が減るのはいいことだ(2007年5月)
   3.冬季下痢症にはヨーグルト(2006年1月)

 どこかハマったか、時に何十という閲覧をしてくれる人も居るようだ。あるいは、こんなカタいこと書いてるのは一体どんな奴だ、とあちこち読んでいる人もいるのかもしれない。コメントが極端に少ないので(もちろん親しい人にも教えていないからだが)、どういう思いで読まれているのかが掴みづらいところ。
 時にメゲそうになりながらも、ちゃんと読んでくれる人はきっといるだろう、あるいは将来、誰かの役に立てばいいか、という思いで綴っているところ。

 たまに、夜中1時とか3時とかに閲覧が集中していることがある。夜遅い人が読んでいるのか、あるいはひょっとして、お隣の国やそのまた西向こうの国の人たちが読んでいるのかもしれない。ただ、某C国の当局検閲だったらちょっと怖いな、という気もしている。
 冗談はともかく。
 マジメに考えて書いているつもりだが、勘違いやら思い込みも多々あるかもしれない。それはそれで、読んでくれた人が考えるのに新たなヒントになってくれればいいと思っている。

 ところで、更新されなくなったブログは、いずれ抹消されるのだろうか。更新されなくなって3ヶ月、というのをどこかで見たような気がするが。まあ事故や災難で突然更新できなくなる可能性というのは誰にでもあるわけだが、その場合でも、ネットのどこかに、そのまま漂っているような気もする。

 …思い切り内向きの話になってしまいました。
 そうそう、来週は久々旅に出ますので(たぶん寸又峡へ)お休みです。

 〔写真は、SMCという会社のHPより勝手ながら拝借〕

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僕なりの健康法

2010-01-24 08:23:41 | 実用
 自慢めいて聞こえるとは思いますが、しばしご辛抱を。

・まず、タバコは吸わない。
 (30歳までは吸っていたが)
・酒はほどほど。特に寝酒は良くない。
 (毎晩のように飲んでた時期もあったが、今は週1,2回。ただし正月は別)
・運動は週2,3回。
 (合気道を習っており、サッカーも時々)
・昼と夜は普通に食べるが、朝食は果物と野菜のみ。
 (果物を先に食べておくと、血糖値が上がるため、食欲が抑えられるそうだ)
・体重は5kg減り、現在おなか周りは75cm弱。
 (上背ないし、元々やせ型なんだけど)
・腹筋ももう少しで見えそうだし、この年としては非常にいい状態じゃあないかと。
 (息子に比べればまだまだだが)
・寝る1時間ほど前にヨーグルトを1個。
 (寝てる間におなかの調子を整えてくれる)

 筋肉質になれば、体温が上がる(体温は筋肉から生まれる)。体温が上がれば免疫力が高まる。そうすりゃ病気にも罹りにくくなる、というわけ。
 ベルトの上から腹がはみ出て、動きにキレがないのって、みっともなくて仕方ない。カミさんだって、スマートな方が嬉しいに違いない。

 …とカッコいいことばかり書くとシラけてしまうかもしれないが、健康的に過ごしたければこれくらいは、と思っているところ。
 で何なんだ、長生きでもしたいのか、酒もタバコも好きなだけやって、死ぬときは死ぬとき、という人もいるだろう。
 まあそれは個人の好き好きなので、他人がどうこう言う問題ではない。ただ、タバコにしろ酒にしろ、タダではないわけで。さらに、病気になればまた診察代やら薬代、入院代もかかるわけだし、時に痛い思いもしなくてはならない。何より、そんなこんなで時間とられるのが、一番面倒くさい。

 話は逸れるけど、生きてて何が楽しいって、好き勝手に考えを巡らせる、これほど楽しいことはないと思っている。それは仕事中だろうが休みの時だろうが、関係ない。ただし仕事中は周りからのちょっかいも多いので、そうも行かない。
 だから逆に、少々休んでも給料減らないよう、あるいは専用の部屋で仕事ができるよう、一所懸命働くってのが、僕なりの考え方。

 あと、加齢は足から、とはよく言われることで、見た目若くても、足引きずって歩いている人ってよく居る。足が上がらなくなっている兆候なので、皆さん自身、あるいは周り気を付けて見てみてください。
 ついでながら、駅の階段上る時など、トントンあるいはパタパタ足音させている人ってのは、段差で足上がらなくて蹴つまずく人と同じで距離感つかめていないようなので、これまた要注意。

 それと大事なことは、今年に入って書いているように、周りの人や環境、それから食事にも感謝しつつ生きるってのが精神衛生上もいいわけで、それはそれで、健康的な生活につながるし、それだけ考える時間が増えるってことになる。
 いずれにしても、費用はまったく掛かりませんので。

 …また話が長く、また大きくなりました。
 

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50になってしまった

2010-01-17 09:43:12 | エッセイ
 
 青臭いこともずいぶん書いているので、ひょっとしたらもっと若く思われているのかもしれないが、去年50歳になってしまった。やれやれひと区切り、といった気持ちである。

 若い頃は50というと、おっさん臭く、ある程度よぼよぼかと思っていたが、ほとんどそんな感じはしない。気持ちは今でも25だし、足腰も何てこたない。ちょっとしたことにひどく傷つきもするし、苦手なこともまだまだたくさんある。
 学生の頃、ジョン・レノンが40歳で凶弾に倒れた。その年齢になった時、ジョンと同じようなレベルに達したいと思っていたが、10も超してしまった。かの織田信長の享年も、過ぎたことになる。

 この半世紀、2つの万博に行けたし、昭和から平成への改元やミレニアムにも立ち合い、また阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロなんてのも。Jリーグの開幕戦も目撃できたし、日韓W杯もスタジアムで。さらには、初の黒人アメリカ大統領誕生や歴史的政権交代、月面からの「地球の出」というのも。
 よくぞここまで来た、というのが正直なところ。そこそこの大学出て、そこそこの会社に入り、そこそこの地位に就いて、そこそこの給料。その間家庭も持って、と、まずまずの人生だと言える。苦労もそれなりにしてきたし、「もういいや」とゆっくりしたいと思っているところ。(立場上、そうも言ってられないけれど)
 一方では、「男は死ぬまで働くもんだ」という意見もあるようだ。川北義則という、いい本出してる人がそう言っている。男はぬくぬくと生きるもんじゃない、あるいは、死ぬまで修行だ、という考え方。

 俗なところでは、映画館で「夫婦50割引」というのがあって、僕が50だとカミさんと2人、2000円で見られる。長いこと楽しみにしていたもので、先日これを利用して『カールじいさんの空飛ぶ家』を見てきたところ。

 先日は成人式もあったようだが、このブログはだいたいそれくらいの年代に向けて書いているつもり。30も上の人間の言うことを、どれだけ聞く人がいるのかわからないが。
 まあどこまで生きられるのか、またブログという形式がどこまで続くかわからないけれど、やれるとこまでやるつもり。まだまだ書きたいことはたくさんあるし。

 合気道習っていることもあり、体はほとんど悪いとこなし。僕なりの健康法を、いずれまとめて紹介したいと思っている。
 そうそう、プロフィールの写真は、20代前半の頃のものです。あしからず。
 

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〈日拝〉で幸せに

2010-01-10 09:00:21 | こころ
 
 その昔、ハロルド・ペパード著『目がどんどんよくなる』という本があり、視力を回復する方法の一つとして、まぶたを閉じて太陽を見る、というのがあった。
 最近目が遠くなってきたし、天気のいい日はこれをやっている。効果のほどははっきりしないが、これはこれで、いい気分になれるものだ。

 地球上の人間は、だいたいにおいて太陽を崇拝する気持ちを持っていると思う。日の丸があるように、また初日の出にたくさんの人が集まるように、日本人はその傾向が特に強いようだが、お天道さんを拝むというのは「日拝」といって、一つの信仰みたいになっているらしい。(ネットで検索すれば、たくさん出てくる)
 上記の、目にいいからということだけでなく、ここ何年か、太陽に向かって拝むことを日課としている。人目があるとやりにくいものだが、その場合は心の中で。

 拝む時は、前回も書いたように「ありがたい、ありがたい」と念ずる。青空が見えてありがたい、生きていてありがたい、仕事があってありがたい…。
 ぽかぽかするせいもあり、幸せな、落ち着いた気持ちになれる。年寄りくさいかもしれないが、精神衛生上とてもいいんで、これまた是非。当たり前だけど、元旦だけでなく年中、お天道さんは僕らの頭の上にいるのだから。

 光の量としては最大でも46万分の1だそうだが、お月さんも同じように拝んでもいいだろう。その場合は「月拝」ということになろうか。
 ところで、この時期太陽は低いところにあるのだが、夜見える月は、高いところにある。これ、ちょっと不思議だけど、よく考えればわかること。

 さて、きのうもちょっと時間を見つけてまぶた閉じて太陽を眺めていたら、カミさんたちに「おじいちゃんのひなたぼっこだ」と言われて、しまった。
 

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ありがたい教

2010-01-03 08:35:54 | こころ
 
 息子が言うのも何だが、82になるウチの親父はなかなかできた人間で、僕ら子供に対しても「ありがとう」という言葉をちゃんと言ってくれる。
 お年寄りは概して、「ありがたい、ありがたい」と口癖のように言う人が多いように思う。長生きできたってことは、それだけでもありがたいことなのかもしれない。(あるいは、「ありがたい」と言っているから長生きできるのかも)

 ものの本なんか読んでいると、不幸になる人っていうのは、グチやら人の悪口やら、不平不満をよく口にしているものらしい。口にするほどだから、心の中にはそれらが渦巻いているのだろう。
 でも幸せになろうと思ったら、それらとは逆のことを思い、口にするのがいいらしい。ありがたいねえ、というもその一つ。そういうことばかりを言っている人間が不幸せになることは、あり得ないだろう、と。

 この世の不幸の大半は人間関係から起きるもののようだが、自分が悪いにせよ相手が悪いにせよ、心の中は文句や言い訳でいっぱいに違いない。そんな時、バカのひとつ覚えみたいに「ありがたい、ありがたい」と言うことで、マイナスのエネルギーを自分の中から追い出すことができる。
 いわばお題目みたいなものだが、「南無阿弥陀仏」にしろ「南無妙法蓮華経」にしろ、ありがたいとされる言葉を唱えることによってプラスのエネルギーで満たすという意味では、同じことなのかもしれない。
 おせちが食べられてありがたい、お酒が飲めてありがたい、天気が良くてありがたい、梅が咲いてありがたい、ネットが使えてありがたい、…。

 小林正観という人がそういうことを言っていて、「ありがとう」を確か1万回唱えると、周りに対する感謝の気持ちが自然と出てきて涙が止まらなくなる、らしい。
 僕もツラい時、何回となく試したことはあるが、1万回とまでは行かなくても、落ち着いたいい感じになるものだ。
 職を失ったとか、大好きな人にフラれたとか、世の中大変なことは多々あれど、そういう気持ちで過ごせたら、それはきっと幸せな人生になるだろうと思う。少なくとも、前向きにはなれるだろう。
 勝手に〈ありがたい教〉と名付けているところ。お金も手間もかかりませんので、よかったらどうぞ。

 そうそう1万と言えば、スポーツにしろ芸術にしろ、何かをモノにするには、1万時間の練習(稽古)が必要なんだそうだ。1日3時間として、約10年。

 …このブログも5年が経ちました。時々サボりたくもなりますが、読んでくれる人がいることをありがたく感じながら、今年もガンバって続けて行きたいと思います。

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