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エッセイとショートショートと―あちこち話が飛びますが

同じ兄弟でどうしてこうも

2012-07-29 07:53:36 | 科学/考察
 
 この夏は見たい映画がたくさんあって、その中の一つ『おおかみこどもの雨と雪』をカミさんと見に行った(夫婦50割引で一人1000円)。狼と人間との間に生まれた姉弟の話で、雪という女の子は活発であるのに、雨という男の子はとても大人しい。
 このように「同じ兄弟でどうしてこうも違うのかねえ」というのはよく聞く話だし、いとこ同士で性格全く正反対ってのもよくあること。ただ、これはこれで、父親と母親のそれぞれから一部を受け継ぐという遺伝のことを知っていれば当たり前であることがわかる。分かりやすく言うと次のようになる。
 赤や黄など暖色系の玉10個の入った箱と、青や紫などの寒色系の玉10個の入った箱があるとする。それぞれの箱から5個ずつ玉を取り出して並べれば、元になった玉の色は同じであるから似た面はあるにせよ、やるたびに違う並びが出来上がることになる。

 ではどうしてこうなっているのか。
 長い地球の歴史の中では寒くなったり暑くなったり、あるいはヒトが北に移動したり南に移動したりしたことだろう。寒さに強い人間だけ、暑さに強い人間だけだったとすれば、その逆の人間は弱ってしまい場合によっては死んでしまう。だから、いろんな種類の子孫が生まれるようになっている。(ちなみに僕は寒いの苦手)
 何か災害が起きた場合、皆が皆同じ方向に逃げてその先が危険な場所だったとすれば、全滅することにもなりかねない。だから、別の方向に逃げたくなる人間も必要なのだ。

 あるいは、特定のウイルスに対する抵抗性が皆一様であったとすれば、そのウイルスが蔓延すれば全員やられてしまう。(HIVに先天的に免疫を持つ人もいるらしい)
 要するに〈生物の多様性〉ということなのだが、人間に限らず、動植物・微生物に至るまで、これだけ多様なのも、地球の生命として、生き残るため、存続するために必要なこと。神様の計らい、と言うべきか。
 だから、うじうじしていようが、勉強/仕事ができなかろうが、美人じゃなかろうが、性格悪かろうが、罪を犯していようが、何の役にも立たないようであろうが、誰しも生きてていいし、生きなくてはならない。

 他の人間、他の生物に対し、サッカーじゃないけれど“RESPECT”しないといけない、ということ。他人をいじめてはいけない理由、他人を殺めてはいけない理由というのもここにある。
 仮に誰かを死に追いやったたとして、死んでしまった人の子孫が、あるいは大いに感化を受けた人が、たとえば全人類を救うような発明/発見をすることになっていたとすれば、それはそれで何て言うか、もの凄い損失であるに違いない。

 ところで『おおかみこども』は細田守監督のいい作品だったのだが、やはり『サマーウォーズ』の方が断然良かった。さて次は『ダークナイト ライジング』でも。

〔写真は、懐かしい人には懐かしいおもちゃ「マーブルピュータ」〕

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ナンバースクールと帝國大学 ほか

2012-07-22 08:47:09 | 言葉/ナンセンス
 
 ナンバースクール。番号が振られた旧制高校のことである。正式には「第一高等学校」などと言うが、ここでは略称の「一高」等とする。
 ナンバースクールとそれを受け継いだ帝國大学、現在の大学、そしてあまり関係ないけど当該主要都市にあるサッカーのクラブチーム。

  一高 ⇒ 東京① ⇒ 東京大学(法) ― FC東京(J1)
  二高 ⇒ 東北③ ⇒ 東北大学(工) ― ベガルタ仙台(J1)
  三高 ⇒ 京都② ⇒ 京都大学(経) ― 京都サンガ(J2)
  四高 ⇒       金沢大学    ― ツエーゲン金沢(JFL)
  五高 ⇒       熊本大学    ― ロアッソ熊本(J2)
  六高 ⇒       岡山大学    ― ファジアーノ岡山(J2)
  七高 ⇒       鹿児島大学   ― ヴォルカ鹿児島(九州リーグ)
  八高 ⇒ 名古屋⑨⇒ 名古屋大学(理)― 名古屋グランパス(J1)

 その他の旧帝大としては、
       北海道⑤⇒ 北海道大学(農)― コンサドーレ札幌(J1)
       大阪⑧ ⇒ 大阪大学(医) ― セレッソ大阪(J1)
       九州④ ⇒ 九州大学(文) ― アビスパ福岡(J2)
       京城⑥ ⇒ ソウル大学校
       台北⑦ ⇒ 台湾大学

 丸数字は帝大としての設立順。大学名のあとの括弧内は、ダブらないよう勝手に決めた看板学部。
 

コメント (2)
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ドーダ理論

2012-07-15 10:25:15 | エッセイ
 
 Eテレ「100分de名著」はいい番組だ。孔子『論語』やブッダ『真理のことば』、カフカ『変身』等々、分かりやすく解説してくれる。
 先月のパスカル『パンセ』はその中でも特に面白くて、第2回の自己愛のところで、講師の明治大・鹿島教授が〈ドーダ理論〉というのを紹介していた。

 これ、漫画「タンマ君」や「アサッテ君」で有名な漫画家・東海林さだお氏が唱えている説。知識をひけらかすのはもちろん、謙虚であるのも「この謙虚さはどうだ!」と言っているわけで、ブログやツイッターで自慢話をするのと根は同じとのこと。
 人はほとんどの場合、自分を認めてもらいたいという〈自己愛〉で動いているものらしい。(純粋な研究心/向上心で何かに打ち込んでいる人も、もちろんいるだろう)

 なるほどなあ、と思った次第。どんな人にも自慢したいことはあるし、優越感に浸りたいこともたくさんあるものだ。
 カッコいいと思っているのも、高学歴を誇るのも、いい人であるのも、逆に悪ぶっているのも、「どうだ!」と言っているようなもの。苦労したことも自慢の種になるだろうし、病気がちなのもそう。悩みが多いということさえ、「この悩みの多さはどうだ!」と自分を認めてもらいたいというサインなのかもしれない。

 立派なこと言う奴、評論家みたいな口先だけの人間てのはどこにでもいるもので、聞いててあまり面白いものではないが、これまた自己愛の一種と言える。
 たとえば何かの提案に対して、「こういう場合はどうなんだ」「こんな場合はどうする」と突っ込んでくる奴はいるもの。物事進める際には大事なことで、そういう意見も必要なのだが、「こういうことも検討していないのか」という意味合いとともに、「自分はここまで考えられるんだぞ」ということ主張したいものらしい。
 特に若い者が突っ込んでくる場合は、自分をアピールしたいという気持ちの強いことが多いので、それはそれで聞いてあげないといけない。
 …と、僕もこうして僕なりの「ドーダ!」をひけらかしているわけです。

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ライバルたち

2012-07-08 09:39:47 | 言葉/ナンセンス
 
 当人たちは意識していないかもしれませんが。〔敬称略〕

 ・当麻蹴速(たいまのけはや) と 野見宿禰(のみのすくね)
 ・孔孟 と 老荘
 ・源氏 と 平家
 ・紫式部 と 清少納言
 ・トルストイ と ドストエフスキー
 ・夏目漱石 と 森鴎外
 ・力道山 と 大山倍達
 ・ジャイアント馬場 と アントニオ猪木
 ・ウルトラマン と バルタン星人
 ・大鵬 と 柏戸
 ・王貞治 と 長嶋茂雄
 ・読売新聞 と 朝日新聞
 ・プロ野球 と Jリーグ
 ・巨人 と 阪神
 ・読売クラブ と 日産自動車
 ・鹿島アントラーズ と ジュビロ磐田
 ・三浦カズ と ゴン中山
 ・ペレ と マラドーナ
 ・メッシ と C・ロナウド
 ・平幹二朗 と 仲代達矢
 ・中島みゆき と 松任谷由実
 ・松田聖子 と 中森明菜
 ・宇多田ヒカル と 倉木麻衣
 ・相田みつを と 金子みすゞ
 ・斎藤一人 と 小林正観
 ・青木隆治 と 荒牧陽子
 ・羽生善治 と 森内俊之
 ・超合金 と ドリル
 ・白鵬 と 双葉山
 まだまだたくさんあるはず。

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ありがたい教6(ふるさとにて)

2012-07-01 11:00:20 | こころ
 
 亡父の一周忌のため、先月ふるさと宮崎に帰ってきた。
 法事の前後は大してやることもないし、折角なので2泊して、通った高校や昔お世話になった家を久しぶりに回っていた。
 いやいや通っていた高校はだいぶ年季が入ってはいたが、当時の面影そのままで、懐かしく見て回った。教わった先生方はもうおおかた亡くなっているはずだが、あの人たちのお陰で、僕はこうして生きていくことができる。
 よく泊まりに行った旧い友人の家では、やはり親父さんが亡くなっており、お線香を挙げさせてもらいながら、おばさんと昔話をしていた。「あの頃に戻れたらいいのにねえ」と。

 そして自宅の近所も。亡くなっていたけれどパン屋のおじさん、お菓子屋のおじさん、小児科の先生、それぞれ少しずつかもしれないけれど、あの人たちにもお世話になった。「○○君、○○君」と、かわいがってもらった。
 もう更地になっていて元は何の店だったか忘れてしまったが、そこの人たちにも、やはり何かしらお世話になったことだろう。
 当人たちも忘れているに違いないけど、その人たちのお陰で、今日の僕がある、当たり前ながら(悟空の〈元気玉〉みたいに、少しずつ皆から力をもらっている)。そうして僕だけでなく、誰かを育て上げたあと、皆死んでゆく。
 だから僕も(もちろんあなたも)別の誰かを少しずつ世話しながら、老い、そして死んでゆく。とりあえず僕は、自分の子供を育て、合気道の稽古で子供たちに教えていこうと。(いずれ忘れられてしまうのだけど)

 ついでながら、できることならいつまでもシャキッとしたおじいちゃんでいたいと思う。そして、態度の悪い奴らを「コラッ」と叱りつけるようでありたいものだ。

 〔写真はご存知、ネジバナ〕

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